Katayama Takatoshi Weblog
森の空気と掃除の作法
今朝は江澤木材に行って材木代の支払いをしてから、たまたま通りかかった笠森観音になんとなく寄ってみた。朝早かったので観音堂は見られなかったが参道を登るだけで素晴らしい気分になった。適度に手入れされた森の中にいると自分と外界との境界が無くなり自分の中身が入れ替わったよう。竹箒で長い参道を黙々と掃除しているお坊さんに「とても良いところですね」と声を掛けると、無言でにっこりと微笑んでくれた。

お坊さんが石の階段を掃き清める様を見ていて、掃除というものは本来その行為自体に意味があるもので、キレイになるのは単に結果にすぎないのではないかと思った。場を掃き清める過程で自分自身も無になっていくことが重要なのだ。

過程を見ずに効率や結果、質より量を重視する世界とはまったく逆の世界がいつもそこに変わらずあるということに、なんだかとても安堵した。
# by katayama_t | 2012-05-23 22:56 | Life | Comments(0)
久しぶりにレコードを聴く
早めに帰ってきたので久しぶりにフルトヴェングラーのベートーベンを聴いた。フルトヴェングラーのベートーヴェンだけでも数えてみるとレコードが17枚ある。その上CDも何枚かあるはずなので20枚以上あるだろう。マニアというには程遠いが、よくもまあこれだけ集めたものだとは思う。

中でもベルリンフィル1942年録音の9番は同じ演奏のものがレーベル違いでunicorn、fontana、turnabout、everestと4種類ある。

この演奏を初めて聞いたのは20才くらいの時だったと思う。高田馬場の名曲喫茶でたまたまかかっていたのが42年の第9だった。それまではフルトヴェングラーの第9は定番のバイロイト祝祭管の51年録音を聞いていたのだが、42年のものはそれとは大きく異なっていた。音質こそ悪いものの、音楽の密度といい、緊張感といい、圧倒的だった。いたく感動して、店の人に「この演奏は何ですか?」と聞いたのが事の始まり。

それからこの録音を探して最初に買ったのがfontana盤。これは同じ演奏だとは分かるものの音質が酷すぎて聞くに堪えなかった(ラジオ放送を録音したものだとの噂)。レコードに詳しい友人から古い録音のものはマスターテープが劣化するので、できるだけ古いプレスのレコードを買うと良いという話を聞き、次に探し出したのがイギリスのunicorn盤。2枚組で15000円也。高すぎるだろ、と思ったがこのチャンスを逃したら次にいつ出会えるかわからないので購入。こちらの音質はfontanaとは比べものにならないほど良いが、家で聴いてもたいして感動しない。あの名曲喫茶で聴いた音楽はもっとずっと良かったような気がして(場所と機材、自分の身体の状態の違いが大きいだろうことは薄々感じてはいたが…)、それからeverest盤を買い、まだ満足できず、最後に購入したのがturnabout盤。これは数年前に韓国の中古レコード店で買った。値段は30000ウォン。日本円で2000円ちょっとだと思う(安い!)。42年盤は見つけたらとりあえず買うことにしていただけで、たいして期待はしていなかったもののこのturnabout盤はとても良い。unicorn盤よりも若干クリアな印象。いつか一人きりで大きな音でこれをかけてみようと思う。でもたぶんそれでもあの時名曲喫茶で聞いたほどの感動は得られないだろう。

わかっている。フルトヴェングラーの言うように、音楽とはその時と場所で新たに産まれる一度きりのものなのだ。演奏する側にとっても聞く側にとってもそれは同じ。

それにしても42年といえば戦争まっさかりである。フルトヴェングラーはいったい何を思って演奏していたのだろう? こういう鬼気迫る演奏は現代ではとても無理だろうと思う。
# by katayama_t | 2012-05-22 23:49 | Music | Comments(0)
緊張できるという才能
昨日カウンセリングを専門としている方とお話ししていて、今まで気づけなかったことにいろいろと気づくことが出来た。

「初対面の人と接するときに緊張しませんか? カウンセリングをやるときにはどうしているんですか?」と聞いたら「緊張するということは悪いことだと思いますか?」と聞かれた。緊張できるというのは一種の才能で、そういう感性は大事にしたほうが良いとのこと。緊張して、ビクついて、自信の無い状態が最も感じやすい状態で、そういう状態になれないと人の内面を感じることはできないし、話を聞き出すこともできない。

言われてみれば確かにそうだ。相手を見ないようにすれば緊張はしないが、そこに関係性は産まれない。また、意気込みすぎて、こちらに力が入っていても相手は何も話せなくなるだろう。相手を「押す」のではなく「引く」のだ。それから相手に内面を出して欲しければまず自分がバリアを外して内面をさらけ出す必要がある。自分は安全圏にいながら相手に内面を語って下さいなんて言っても、それは無理だ。

気づいてみれば当たり前のことだが、今までは「この人はどうして自分を出してくれないのだろう?」などと思っていた。

問題は自分にあったのだ。相手が怖くて自分にバリアを張っていた。自分を開くことで相手も安心して内面を見せてくれるだろう。

こうして考えてみると「ものづくり」でもまったく同じ事が言える。

緊張感を持って素材を注意深く見つめることでしか、その素材に合う形は見えてこない。素材を見ずに自分の欲しい形に素材を押し込めるやりかたは一見強そうに見えるが人間中心で観念的で狭量で寒々しい。そこからは対立概念しか産まれてこないだろう。

また、「自信がある」というのは経験や知識に縛られている状態であって、そこから新しいものは産まれない。

新しいもの、未だ見ぬものを産み出そうとしたら、過去を捨てなければならない。その時には自信など無く、とても怖い。出口があるかどうかも分からない暗闇の中を手探りで進むようなものだ。

新しいものを作る時に「自信がある」ということの意味は、自分は過去を捨て去ることができるという自信であって、良いものを作れる自信ではないのだ。

そいういうふうに「自信の無いやりかた」をしていかなければ、ものを作る意味など無いし、生きる意味も感じられなくなりそうだ。
# by katayama_t | 2012-05-19 00:09 | Art | Comments(0)
好きなものを作ること
今日は午前中2〜3時間粘土をいじり、午後から授業の準備。14:30から夕方まで授業。その後、仕事は山積だが無理をしないで帰る。

2〜3時間粘土をいじったところで、作品なんてほとんど進まないのだが、少しずつでも毎日やれば、少しずつは進む。何もやらなければ何も進まない。当たり前だけれど大切なことだ。

今までは、まず個展の日程が決まっていて、それに向けて作品を作ってきたが、そういうやりかたでは何か新しいことをやろうとしても難しい。締め切りがあるということで火事場の馬鹿力は出るかもしれないが、間に合わせるためには冒険はできないのでヘタをすると自分の作品のコピーのようなものになってしまう。それは最悪だ。

今年はワッツの個展をキャンセルして、今のところ個展の予定を入れていない。まずは自分の好きな作品を作って、人に見せたいと思えるものができたら個展をやろうと思う。これは考えてみれば当たり前のことだ。まだ個展をやっていなかった頃には純粋にそう思っていた。個展を先に決めてそれをモチベーションにして作品制作をするような人達を自分は見下していた。

自分を追い込んで無理矢理に作ればそこそこ良い作品は作れる。でもこのままでは酒の量が増えるばかりだ。
もう一度最初からやりなおす時期に来ているように思う。
# by katayama_t | 2012-05-16 22:00 | Art | Comments(0)
雨の日は頭痛
今日は6時半に家を出て8時半に病院で診察、9時半から12時までゼミ。午後は16時過ぎから授業が入っていたが、TAの学生に任せてパンダを修理工場に持って行った。1週間ほど前からエンジンのフケが悪く排ガスが若干黒い。一通り見てもらったが原因は特定できず代車の用意ができしだい入院して精密検査ということに。たいしたことなければ良いが…。

天気のせいか朝から偏頭痛がひどい。夜になって仕事をしようにも頭痛がひどくて何もできず。
これは生活の乱れもあるかも。明日から生活を見直そうと思う。外泊を少なくして規則正しい生活をし、とにかく好きな物を作る。
# by katayama_t | 2012-05-15 23:03 | Life | Comments(0)
未完成披露パーティー
5月5日こどもの日、一向に完成を見ない我が家の「未完成披露目パーティー」を行いました。突然の決定にも関わらず総勢20名以上の方々に来て頂いてこどもの日らしく賑やかな1日となる。

みなさまありがとうございました。ろくに話もできませんでしたが、これに懲りずにまたいらしてください。
# by katayama_t | 2012-05-15 22:44 | Life | Comments(0)
チェルフィッチュ 『現在地』を観た
チェルフィッチュの『現在地』を観た。チェルフィッチュはずいぶん前にNHKの芸術劇場で「フリータイム」を観てから、その目の覚めるような新鮮さがずっと気になっていたのだが、今まで舞台はなんとなく見逃していた。今回「これは観なければいけない」という気になったのは、自分が作家としてこれからどういう方向に進めばいいのか迷っていたところへ飛び込んできた『現在地』というタイトルに拠るところが大きい。震災後、何が「正しい」ことなのかまったく分からない今、「私達のいる場所」を示すことはとても重要だと感じた。

開演2時間前から並んでようやく当日券を入手、少し期待しながら舞台を見るも、しばらくして眠気に襲われ出した。どこにも向かっていない抑揚の無い棒読みの台詞で語られるのは、原発事故に照らし合わされた人と人との関係。事故現場周辺から避難する人がいる一方、土地から離れない人もいる。避難する人はどうして他の人が避難しないのか理解しないし、土地に留まる人は、故郷を捨てる人に対して「冷酷だ」という感情を抱く。しかし、そこには感情の爆発も無く、台詞は常に宙ぶらりんのままコミュニケーションと呼べるものは何も無い。無機質な空間に単調な台詞が放たれるだけ。

このちぐはぐでコミュニケーション不全な感じは現代という時代を象徴していると言えば言えるかもしれないし、表現したいこともなんとなく分からなくは無いが、私は最後までついぞ心を動かされることは無かった。

演劇というものは、その場で、その都度、魔法のように何事かが起きてくるものではないのか? 確かに、台詞の感触は2日経った今でも耳に残って私にまとわりついている。しかし、そのように後からじわじわと来る呪いのような言葉は文学の持ち味であって、その場で一度きり起きる演劇のそれではないのではないか?

力があることは間違いないし、言葉のセンスは素晴らしいと感じる。しかし、だからこそもっと真摯に良い作品を作って欲しい。次に期待する。
# by katayama_t | 2012-04-30 23:03 | Art | Comments(0)
心豊かに暮らすために
子ども達が学校で聞いてきたのか「いすみ鉄道は赤字だって」と言うので、私は「それでもいいと思っている」と言った。どうしてと聞くので、「じゃあ学校にある桜の木は花びらが落ちて掃除が大変だし毛虫はつくし何の役にも立たないのに、なんで切らないの?」と言ったら大笑いして「そうだね!」と納得したようだった。いすみ鉄道が無くなったらこの辺りの魅力は半減する。物事を要不要だけで判断し、何でも金銭的価値で考えるのは悪い癖だ。

その延長線上に人々の生活に根付いた神社仏閣などを「観光資源」などという死んだ言葉に言い換え、観光客に合わせて周囲になじまない案内板を作るなどという愚なる発想がある。いすみ鉄道も「観光資源として活用しなければ」などと考えず、まずは自分達が自分達の心の豊かさの為にお金を出し合って大切にしていけば良いのではないか。観光客を呼び込もうと駅や車両を飾り付ければするほど、地域の魅力は失われるばかりである。

今日は雨で一日中家にいた。明日は朝から大工仕事をしよう。
# by katayama_t | 2012-04-14 23:27 | Life | Comments(2)
満開の桜の下で不毛な口論をする
今日は布野くんの引っ越し先にリフォームの相談役として出向く。1階部分は鉄骨、2階部分は木造という奇妙な家。ビニールの床を木材に張り替えたいというので少しアドバイスしておいたが、安くて良い材料というのは無い。やはり予算がネックになりそう。ひとしきり近況などを交換してから布野くん宅を後にし、千葉市美術館でやっている研究室の学生展搬出のため千葉に戻る。5時にトラックを借りて6時からばらし始めて7時にトラックへの積み込みが終わり、大学で荷下ろしをして8時前にトラックを返却。ここまではすべて予定通り。南門が閉まっているので乗り越えて、近くのカレー屋「タンドリー」にて学生達と夕食。

その後、バイクで帰ろうとしたが、バイク用の北門が閉まっているので正門から出ようと大学内を走行していたら警備員に止められて「学内はバイクの走行が禁止されているから走るな」と言われる。『そんなの知ってるよ』と思いながら、「北門が閉まっていたからこっちに来ているんです」と言ったが、警備員は「走行禁止」と言うばかり。「では降りて押せばいいんですか?」と聞くとそれもだめだという(謎)。「ではどうやったらバイクを外に出せるんですか?」と聞くと、門が閉まる前に出るかレッカーするしかないという答え(笑)。話にならない(いっそ本当にレッカー車を呼んでレッカー代を大学に請求しようかとも思ったが、大人げないので一瞬で却下)。「でも仕事で遅くなってるんですよ、バイクを出せなければ帰れないんですよ」と言っても「走行禁止という規則だから」と言うばかり。まったくバカバカしいにもほどがある。自分の責任で判断することもできないのならそのうち警備員はロボットに取って代わられるよ、まったく。

そうこうしているうちに分が悪くなったのか警備員はそのまま行こうとする。「ちょっとまって。規則はどうしたんですか? ぼくをこのままいかせていいんですか?」と言うと「私の口からいいとは言えない」と言いながら逃げるように行ってしまった。これ以上問い詰めても気の毒なのでそのまま行かせてあげたが、なんだか「日本」という国を象徴しているような出来事でやるせなくなった。本当に規則が大事なら私を断固として阻止すれば良いのだ。結局自分に責任がかぶさることを怖れているだけじゃないか。
# by katayama_t | 2012-04-08 23:58 | Life | Comments(0)
味噌作り2012
今年の味噌作りはゲストが3名いる賑やかなものとなった。
朝9時半に茂原駅で待ち合わせ、10時から作業開始。道具を出して洗って、昨夜水に浸けておいた大豆を大釜で煮る。沸騰したら20分ほどで薪を抜いて、あとは余熱で柔らかくなる。お昼を食べてからミンサーで大豆を潰してあらかじめ混ぜておいた塩と麹にすりつぶした大豆を入れて煮汁を加えながらよく混ぜる。硬さはハンバーグくらい。いっぺんに全量は混ぜられないから三分の一ずつ混ぜるのだが、この量が目分量なのでかなりテキトー。それでも今まで失敗したことはないので味噌なんてものは、お酒と違ってどういう作り方をしても美味しく出来るものなのだと思う。3時に作業終了。それぞれ持参した容器に入れて持って帰ってもらった。秋頃になって熟成してきたら食べ比べてみるのも面白いと思う。同じ材料でもたぶん味が違っている。

今年の味噌作りの感想:「人が来てくれるとかなり楽」

私が最初に作った味噌は学生時代にスーパーで2キロの大豆と麹を買って来て作った。ミンサーなどという高価な道具は持っていなかったのですり鉢とすりこぎを使って大豆を潰していた。圧力鍋で大豆を煮て、夕方から始めて深夜までかかった。その後、結婚して作る量が増えても妻と2人で夜中までかかってすり鉢で潰していた。その時まで味噌作りは日々の忙しさの合間に疲労と眠気でもうろうとしながらやるものだと思っていた。そして10年ほど前に思い切ってミンサーを買って味噌作りが圧倒的に楽になり、その後、子ども達が手伝うようになりさらに楽になり、今では味噌作りを体験したいという奇特な人が来てほとんどのことをやってくれる。ものすごく楽。これからもこの調子でいきたいと思う。
# by katayama_t | 2012-03-26 20:46 | Life | Comments(0)
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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