Katayama Takatoshi Weblog
とりあえず1羽食べてみた
生後2年半経っている鶏はほとんど卵を産まない。毎日1つずつ卵はとれるが、5羽いる雌鶏の中で産んでいるのはたぶん2羽くらいではないかと思う。毛並みが綺麗で若く見える鶏は産んでいない鶏で、毛が禿げてきていて年をとって見える鶏が卵を産んでいるらしい。

鶏はいくらでも持って行って良いと言われているので、産んでなさそうな鶏を絞めて食べてみた。痩せていて肉もほんのわずかしかとれず、かつてアメリカで食べたステーキ並みに硬い。でも、力を入れてようやく噛み切れるような肉を食べると少量でも満足するから不思議だ。
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# by katayama_t | 2016-08-28 20:59 | Life
鶏の餌は
飼いはじめてから飼い方を調べるというのは順番が間違っているような気もするが、何事も始めてみなければやる気が出ないので、鶏には申し訳ないがこれもまあ仕方が無いだろうと思う。

知の宝庫「図書館」に行ってきた。ところが、犬や猫に関する本は山ほどあるが、鶏に関する本はほんのわずか。鶏の隣の棚にはインコのコーナーがあり、その下にはミツバチの棚があり、そのどちらも鶏より充実しているように見える。一瞬「インコにしようかな……」とか「ミツバチもいいな」などと気が迷うものの、すでに鶏がいるので、目移りしてはいけないと自制して、役に立ちそうな2冊の本を借りてきた。
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ぱらぱらと流し読みした程度でも、ある程度知識は入ってくる。本ってすごい。本によると鶏はどうやら何でも食べるらしい。ホームセンターには配合飼料というものが売っていて、遺伝子組み換えトウモロコシや、魚粉や、油かすや、貝殻や、米ぬかなどがバランス良く配合されていて、うちもとりあえずそれを使っていたが、何でも食べるとなれば今まで畑に穴を掘って埋めていた野菜くずや、出汁をとった後の鰹節や、米ぬかや、猫が残した煮干しの頭など、それから草刈りをした後に大量にでる雑草など、何でもかんでも鶏の餌にできる。野菜につく青虫やバッタなども大好物なので、害虫駆除も兼ねることができる。
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本によると発酵飼料を作ると良いということのようだが、出来るところから無理せずやるということが生活においては大切なので、まずはできるところから。

ゆくゆくはヒナをかえして循環させられるところまで行きたい。
# by katayama_t | 2016-08-27 16:22 | Life
鶏小屋作り
鶏小屋を作った。
できるだけお金をかけたくないので、製材屋さんに行って端材をもらってきて、大まかなところはそれを使い、屋根材や板材のみ購入。ということで総工費は20858円。ビスや、釘、一部の板などは、家にあったものを使っているので実際にはもう少しかかっている。

総工費内訳
・コンクリートブロック:1000円(100円×10個)
・野地板:1790円
・波形トタン:12828円(9尺2138円×6枚)
・カラートタン平板:1390円
・金網:3850円(350円×11m)
合計:20858円

先日知り合った卵屋さんに電話すると、いらない鶏があるから持って行って良いというので早速取りに行って、雌鶏5羽、雄鶏を1羽もらってきた。すでに生後2年半ほど経っているので、あまり卵は産まないが、まずはこの鶏たちで飼い方を研究して、ゆくゆくは、雛から育てるようにしようと思う。
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# by katayama_t | 2016-08-21 20:03 | Life
くやしい思い
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外がとても気持ちよい季節。
今日は一日中外にいて、庭の草むしりや薪割りなどしていた。
ただぼーっとしているだけで、時間だけが過ぎていくこの感じには、馴染みがある。子どもの頃もよくこうして一日中外で過ごしていた。何をしていたわけでもなく、ただ拾った石やガラスを磨いていたり、蟻の行列を眺めていたり、していた。

もともと外が好きだったということもあるだろうけど、それ以前に家が狭くて家の中にいるという選択肢がそもそも無かったような気もする。だから家の中で何かをしたという記憶がほとんどない。子どもの頃、家には積み木やブロックなど、子どもが遊べるようなものは何一つ無かった。それどころか小学生になるまで、家には本も無かったし、鉛筆も紙も無かった。およそ文化的なものは何もなかった。今だったら「貧困家庭」と言われるのかもしれない。冷静に思い返してみても、友だちの家はもっとずっと広くて裕福だった。でも、それで特に劣等感を持ったり、嫌な思いをしたりすることもなかった。むしろ、おこずかいで無駄な買い物をする同級生たちをひそかに見下していたようなところもあった。何かを買ってもらったりしたことはなかったが、物欲もなかったので何も困らなかった。

ただ「うちは貧しいのだな」と意識したことが一度だけある。4~5歳の頃、独りで家にいて、家にあった唯一の筆記用具だった、赤のダーマトグラフで襖にタコの絵を描いた。自分でも驚くほどよく描けたので、早く母に見せたくて、帰宅を心待ちにしていて、帰ってきたら、「お母さん! これ見て!」と言ったら、母の顔がみるみる引きつって、ひどく怒られた。「何やってるの!! ここは借家なんだからそんなことしたら出るときにお金がかかるでしょ! 消しなさい!!」といきなり怒鳴られた。

「借家」や「お金」という言葉が頭の中でリフレインする中、くやしくて泣きながら会心の作を消しゴムでこすったことをよく覚えている。ダーマトグラフで描いた絵は薄くなるだけでほとんど消えなかった。やがて父も帰宅して、親たちで何か相談していたようだが、それっきり何も言われなかった。その日は沈んだ空気の中、気まずい思いをしながら無言で過ごしたように思う。

あの時のくやしい思いを今でも時々思い出す。
# by katayama_t | 2016-04-10 21:44 | Life
大切なこと
部屋で荒牧さんと話していて「奥村さんの論文は持っていますか?」と聞かれたので、本棚を探してみたが無い。そしたら扉がノックされて、開けたらそこに筑波にいるはずの奥村さんが立っていた(笑)。日常は奇跡に満ちてる。

ちょうど良いので論文のコピーをもらうことにして、ついでに荒牧さんの制作した調理ストーブを見てもらった。

初見の奥村さんはいきなり「すごい!」「すごい!」の連発で、最初は本当にわかっているのかと心配になったが、感想を聞くと、どうやらほとんど説明しなくてもこのストーブの意味を理解しているもよう。後で送られてきたメールには、あの作品は「問題解決でありながら、同時に問題提起でもある」と書かれていた。

アウトドアのお遊びではなく、日常生活の中で、いかにエネルギーを自給するかということは、大変な問題である。それは一人が行う分には目立たないささいなことに見えるかもしれないが、皆がやりだしたら世界が変わる。比喩でも何でも無く、本当に変わる。……でも、ほんとうに大切なのは実はそこではない。なにも世界を変えることが目的ではなく、自分自身を救うこと、自分が幸せに生きられることが、人生においてほとんど唯一の目的であるし、そのことが本当に尊いことなのだ。しかし、そこを理解する人はまだ少ない。

もしも世界が変わるとしたらそれは結果でしかないが、そこにしか関心のない人が多すぎるように思う。世界が変わるというと大げさだが、例えば開発した製品が普及して産業構造が変わるとか、画期的なアイデアを実現させて社会構造が変わるとか。それはそれで素晴らしいことなのだとは思うが、でも何かが違う。

もっとささいなこと、小さなことにこそ価値があるのではないかと思う。夢を見るのではなく、地に足をつけること、目立つ派手なことではなく、目立たない地味なこと、一般的なことではなく、個人的なこと、目に見える成果ではなく、目に見えない変化、外部の評価ではなく、内面の深化、イベントではなく、日常にこそ価値があるのではないかと思う。

そういう本当に大切なことを見つめる装置としての作品があっても良いのではないか、と最近よく思う。
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# by katayama_t | 2016-03-15 22:10
味噌を仕込む
先日、合田佐和子さんが亡くなって、残念だと思っていた矢先、一昨日はアーノンクールの訃報に接して、かなりショック。そしてアーノンクールの訃報に接したまさにその日、昨年5月に収録された最後の録音、ベートーヴェンの4番と5番のCDを知人に頂いて、ちょうど話題にしていたので驚きも大きかった。昨日から繰り返しそのCDを聴いているが、今まで聴いたこともないような、こちらの常識をゆさぶられるような演奏。特に5番の最後は一度聴いたら頭にしみついて離れない。

アーノンクールの緊迫感あふれる演奏が好きでずっとファンでありつづけたのだが、全集を聴くような熱心なファンではなかったので、この機会に「アーノンクールのベートーヴェン名演集(14枚組)」というCDを勢いに乗って買ってしまった。14枚組といっても3862円という安さ。この半世紀を代表するような指揮者の14枚組CDがこんなに安くて良いのだろうか……。ちょっと複雑な気分。先日購入したマリスヤンソンスのショスタコーヴィチ交響曲全集(10枚組)3378円というのも驚きの安さだったが、いまや音楽はデジタルデータとなって簡単に複製できてしまうので、どこまでも安くなっていくのは避けられないのだろう。

それはさておき、
今日は、毎年恒例の味噌を仕込んだ。
昨日からの雨があがって、なんとか天候に恵まれ、昨夜から水に浸けておいた15kgの大豆を朝から茹でて昼には樽に仕込み終わった。もう毎年のことなので特に変わったこともないが、親が施設に入ったり他界したりで味噌をおすそわけする先もなく、余ってしまうので作る量を少し減らしても良いかなと思った。
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# by katayama_t | 2016-03-08 21:08 | Life
初めて事故ったの巻
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先日道を走っていたら様々な事情があって電柱と車が衝突した。
ダメージは右ヘッドライトとバンパーが要交換。車体も若干歪んだが、まあ問題ない程度。できるだけ安く修理したいのでパーツを探しに行きつけの解体屋に行ってみたが、あいにく適合車が無い。しかたがないのでヤフオクで探す。運良くバンパーが500円、ヘッドライトが1000円という格安パーツを見つけて落札したが、送料がかかるのがネット購入の難点。結局送料が合計5000円かかって、6500円の買い物になってしまった。それから購入したパンパーの色が気持ち悪いパール系パステルカラーだったのでボディー色のスプレーを1280円で購入。しめて7780円。これだけ金があれば酒がどのくらい飲めるかと思うと痛い出費だ。

そして、今日。ようやく家にいる時間がとれたので、修理することにした。

とりあえず、ライトとバンパーを外そうとするが、固定されているネジを外そうにも手の入る隙間が無い。車というのはどうしてこうも修理しにくい構造になっているのかというやり場の無い怒りを抑えながら、パズルのように手順を解読して無理矢理になんとか外し終わり、購入してあったバンパーを塗装。しかし、いざ塗装してみたら購入したスプレーがボディー色じゃなかったことが判明(笑)。日産のシルバーを購入したのだが、ずいぶんと明るい色だ。シルバーだけでも何種類もあるので、違うかも知れないとはなんとなく思ってはいたが、ちゃんと確認しないからこういうことになる。しかし、また塗装し直すのも面倒なので、そのまま装着。
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ヘッドライトも左右で劣化具合が違って左側がずいぶんと黄色いが、これも見ようによってはデビッドボウイみたいでかっこいいということで良しとする。なんだかこの車にもだんだん愛着が湧いてきた。
# by katayama_t | 2016-01-24 21:04 | Life
けもの道トレッキングと桃源郷
先週の11日(祝)に長南町が企画した『けもの道トレッキング』に行ってきた。昨年の11月から合計3回開催しているが毎回申し込みが殺到して、今回も募集人数20名のところ225名の応募があったというから、『今狩猟が熱い!』……というかなんというか。「どうして?」という思いが強い。自分はトレンディ路線ではないと思っているが、なぜかいつも気がつくとトレンドの中にいる。今回も「またか」という感じがしなくもない。

まあ、それはさておき、当日は朝10時に現地集合。現場近くのコミュニティセンターで千葉県の害獣駆除についてのレクチャーを受ける。農作物の被害額や、捕獲数など各種データの他に、動物の種類の見分け方や、被害の実例、センサーカメラが捕らえた貴重な映像なども見られて、千葉県における害獣被害の現状について分かりやすくまとめられていてとても勉強になった。ちなみに千葉県の獣害による被害額は全国的に見たら中くらいで、それでも平成26年度1年間で2億8000万円というから甚大だ。特にイノシシの被害が深刻で、何らかの対策を講じなければ今後も拡大傾向。しかし、イノシシの数が増えるのと反比例するように狩猟者の数が減り、高齢化も進む中、危機感を募らせて、今回のような催しを行っているというわけだ。
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お昼をはさんで、午後はいよいよイノシシや鹿などが出没するエリアへ出かけていった。そこかしこにある鹿や猪の被害を見ながら箱ワナや括りワナの説明を受けて、あちらこちらのポイントを見学。『けもの道トレッキング』というからハードな山歩きを想像していたが、歩きにくい箇所はほとんどなく、普通の服装で難なく歩ける。天候にも恵まれてとても良い散歩になった。
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そしてそして、今回まったく予期していなかったが、山の景色が本当に美しい。鋸南町は水仙の産地で今の季節は山の斜面一面に水仙が咲き乱れている。感動しっぱなしで、隣を歩いていた方に思わず「きれいですね……。」と話しかけると、「本当に……。まるで桃源郷のよう」と返ってきた。自分だけではなく、皆歩きながら陶然としていたように思う。
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今回参加して本当に良かったと思うのは、狩猟に関する知識を得られたこともさることながら、桃源郷に行ってきたという実感が心の中に余韻としていつまでも残っていることだと思う。一面の水仙の中を歩くと地面から吹き出した生命が空間を満たしている感じに圧倒され胸が一杯になる。花の中を歩くことがこんなにも素晴らしいとは今まで知らなかった。
# by katayama_t | 2016-01-18 22:59 | Life
正月を家で過ごす
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ようやく親の手が離れて正月を自宅で過ごせるようになった。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観たのは20年ぶりくらいだろうか。今年の指揮者はマリス・ヤンソンス。良い人なのだろうなとは思うけど、北千住あたりを普通に歩いていそうな華のない指揮者だ。比較するのも気の毒だが、その昔カラヤン指揮のニューイヤーコンサートを観た時の高揚感が懐かしく思い出される。カラヤンという人は権威が好きで、その世俗的な性質によって、嫌う人は「大嫌い!」という指揮者だが、それでも「帝王」と呼ばれるにふさわしい堂々とした風格があるし、好き嫌いはともかくとして演奏も素晴らしい。私も昔はカラヤンの俗っぽさが嫌いで演奏も毛嫌いしていたが、聴いてみるととても良いものがある。特にシェーンベルクの「浄夜」をはじめとする新ウィーン楽派の録音は、学生時代に一番よく聴いた思い入れのあるレコードだ。

来年は指揮者にグスターボ・ドゥダメルを迎えるという(!)。ちょっとびっくり。カラヤンが活躍した時代とは隔世の感があるが、それだけにとても楽しみ。今までにない楽しい演奏になるだろう。

ニューイヤーコンサートは、子どもの頃から好きだったが、自分で作品を作るようになってから聴くとまた格別の良さがある。普段は難しい聴衆を相手に難しい楽曲をやっているオーケストラがこの時ばかりはウィンナ・ワルツを演目として難しい事は抜きにしたお祭りをやる。指揮者や楽団員が実に楽しそうに演奏している姿を見ると「音楽というのは本来こういうふうに楽しいものなんだよな」と思わせられる。

そういうコンサートを、今、自分が個展を行うようになってから観ると、とても羨ましく感じる。個展はいつも真剣勝負なので精神的にも肉体的にも追いつめられるが、ふと我に返ると「美術ってもっと自由で楽しくて良いはずだよな……」という想いがわき上がる。たまには誰に気兼ねする事もなく、ただひたすら楽しいだけの美術もやりたい。具象彫刻やデッサンなどでニューイヤーグループ展なんてどうかな。
# by katayama_t | 2016-01-02 22:16 | Life
重田先生のこと
21日に中村公紀展の初日に行ってきた。
会場でかるくワインを飲んでから美味しくて楽しい日本酒の店へ行き、一昨年亡くなった藤岡の話から、話題は学生時代に酒を飲んで無茶をした話に移っていった。

当時の学生はほとんど卒業研究などやらずに遊んでいた。学生にもよるけど、酒を飲んで馬鹿ばかりしていたように思う。大学というものをなめていたんじゃないかな。私も学生時代は大学をなめていたし、今でも大学なんてたいしたところじゃないと思ってるけど、行って良かったと心から思えるのは、行かなければ出会えなかったような人たちに出会えたからだ。出会いたくない人たちもたくさんいたけど、出会えて本当に良かったと思える人もごくわずかにいる。中でも故三木成夫先生は、時間的には短い付き合いだったけれども、私が母校で唯一「先生」と呼びたくなる人だ。人が人に教えられる事なんて実はほとんど無い。知識なんて本を読めば良いし、学ぼうと思えば世界には膨大な量の知識や思想の積み重ねがある。

それでも人からしか学べないことはある。それはその人が持っている知識や経験などではなく、人としての生き方や姿勢のようなものだ。素晴らしい人との出会いは、ほんのわずかな時間を一緒に過ごしただけでも、その人の心性や人格というものが深く心に刻まれる。そういう人に出会えたのはとても幸運で幸福なことだ。

私が、大学や、大学の先生や「芸術」というものにほとほと嫌気がさして、もう金輪際関わるまいと思って大学院を出て、それでもまた大学というつまらない組織に関わることになったのも、そこに尊敬できる人との出会いがあったからだ。

「大学でデザイン学科の学生達にものづくりの方法について教えてくれ、常勤だから安定してるぞ」などという、まったくばかばかしい申し出を断り続けて、最終的に、「件の教授が会いたがっている。」と言うから、「なぜこちらから出向かなければいけないのだ!」と内心腹を立てながらも、これで縁が切れるならと思って、わざと遅刻しながら渋々その方の住居兼アトリエのある中野まで会いに行った。そして、まったく予想しなかったことだが、1時間もしないうちに私は軽い感動と共に首を縦に振っていた。この人の為なら多少の寄り道をしても良いと思ったし、むしろこの人の為に何かしたいとさえ思ったからだ。まったく偉ぶったところがなく、私のような無遠慮な若輩者にも「人対人」として実に誠実に対応してくれた。こんな大学の先生もいるのだということが驚きだった。

その方が22日に83歳の生涯を終えた。愛する人たちと自分の描いた絵に見守られながら静かに自宅のアトリエで永眠されたそうだ。

今にして思えば、彼の導きがあったからこそ、自分は人間としての幅が少しは広がったように思う。こういう出会いが無ければ自分は相変わらず偏屈で棘だらけの付き合いにくい人間のままだったように思う。

自分は彼にちゃんとお礼を言ったことがあるかな? とふと不安になる。彼の元で働きだしてからも私は相変わらず、人と対立することを厭わない権威嫌いの不躾な若者で、迷惑しかかけていなかったような気もする。「お礼を言う前に他界してしまった。」というやり場の無い気持ちを抱えて、今、ただ呆然としている。
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# by katayama_t | 2015-12-26 09:19 | Life


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
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