今から19年前、私と緒方くんは一緒に飛行機を作った。私がボディをバルサで切り出し、アルミ板を貼っているうちに、彼は飛行機マニアの血が騒ぎ出したのか、私からその飛行機を奪い、操縦席にガラスをはめ込み、エンジンの細部までこだわって作り出した。それから公演の日まで作り続け、公演が終わっても少しずつ作り続けてきたようだ。あれから19年経ち、ほどよく古色を帯びた飛行機には、新たに離着陸用の車輪が装着されていた。
あの時の野外劇のビデオを見ると、大道具や小道具、舞台美術が圧倒的な力を持っていたことに今更ながらに気づく。1ヶ月ほどの間に2トンロングのトラック2台分の舞台美術を作り、4mもある巨大な門から、この模型飛行機に至るまで、そのどれもが細部まで丹念に作り込まれていた。
王が振り回す剣は鉄で作られ、目釘で固定し、王国名が刻印されていたし、4mもある城の門には鉄を切り出して鍛造したトカゲを象った取っ手がつけられていた。
舞台は完全な野外である。観客との距離もある。はっきり言って細部など見えないのだが、私たちは「見えないからいらない」「見えないものは無いも同じ」というふうには考えなかった。…というよりも、そういうふうにはできなかった。物には物の命があるのだ。物を作る人間は物と向き合う。どんなに効率が悪かろうが、物にとって幸福な在り方を物と共に探っていくことが、物を作る人間にとって最低限必要な態度である。
何かに「必要」だから作るという考え方は貧しい。「必要」とか「不要」を超えたところに本当の物の価値は存在する。