Katayama Takatoshi Weblog
時間をかけることの価値
d0094333_23205718.jpg先日、いつものように家作りの作業をしていると、親から電話があった。
「家の方はどうなっているんだ?」という話。
何年も顔を見せていないし、ほとんど報告もしていないから、親としては「こんな長い時間をかけていったいどうなっているんだ?」という気持ちになるのは分かるが、木で家を作るというのはそんなに簡単じゃないのだ。棟上げが終わって大工さんに言われたのは、ここから完成までには大工が3人がかりで半年かかるという話だった。

私たちはほとんど土日しかやっていないので、単純に計算したら1/3しか時間がとれていない。それに加えて、作業しているのは、たいてい私1人か妻と2人だし、大工だけじゃなくて左官も電気工事も水道工事も自分たちでやっているので、実質の進度としては1/5くらいのものだと思う。

…ということは、半年×5=2年半!

現代の生活からみたら2年半は長く感じるかもしれないが、私たちは100年もつ家を作ろうと思っているのだから、それを数ヶ月や半年で建てていいはずがないと思う。「100年もつ」というのは、物理的に100年間壊れないということだけではなく、嫌にならない、愛し続けられるということだ。

経験も無い私たちが、最初に思い描いた完成形を目指して建ててもろくなモノにはならないだろう。作りながら考えていく時間を大切にするならば、家を作るというのは最低でも1年はかけなければいけないのではないか? もちろん、建築なので計画を途中で大きく変更するのは難しいが、使用する材料や壁や床の収まりを自分達で工夫するだけでも「他の誰かが考えて勝手に作ったもの」ではなく自分たちで考えて気に入るように作ったものになる。

親は「大工さんに手伝ってもらったら?」とか「どうしても自分で作りたいの?」などと聞くが、そう聞かれても返答に困る。別に一から十まで全て自分で作りたいというわけでもないのだが、勝手に作られても困る。要するに自分で時間をかけて納得してやり方を決めていきたいのだ。

現代の生活は「効率」や「コスト」が重視されていて、速くて安いモノが当たり前になっている。それ自体は悪いことじゃない。自動車が普及したおかげで行動範囲は広がったし、こうしてネットにblogを書いたりできるのもそういう近代の価値観が成功してきたからだ。私たちは今さら閉じた地域共同体に戻ることはできないし、そういう逃げ場のない濃密な関係性はゴメンだ。

でも、それによって失ってきたものもきっとたくさんあって、人間が幸福を感じながら生きることにおいては、近代化によって失いつつある、不合理で、非生産的で、理屈に合わないような物事がとても重要なのかもしれない。人間は機械ではないのだ。

そういう情報に翻弄されて機械によって働かされている近代合理主義的社会を鮮烈に表現した舞台作品にダムタイプの「pH」(1990年)がある。そのビデオバージョンに出演者の一人ピーター・ゴライトリーのモノローグが収録されている。

困った顔をしてピーターがつぶやく

「小さい頃家の前に道があった。地球は丸いからそれをずっと歩いていったら一周して自分の家までまた戻れるんだと思った。

でも、自分はアメリカからここまでその道を歩いて来なかった。
飛行機に乗ってきた。速いからあたりまえ…。
でもその道を歩いてきたらきっといろんなことが見えた。
飛行機に乗ってきたということはそれを飛び越してきたということ。

う…ん。なんか、ズルしました。 という気もします。」


ゆっくりと時間をかけて結果を急がないことの価値を見直すべき時代になってきているのだと思う。 
by katayama_t | 2011-02-22 23:19 | Life
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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