Katayama Takatoshi Weblog
夢・信念・権力
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夜、川崎から帰る途中、久留里の山中で道に迷った。真っ暗闇の中、まったく見覚えの無い曲がりくねった山道を延々と走っていると方向感覚を失い、時間の感覚も、場所の感覚も狂ってくる。「もしかしたらここは新潟の山の中なのではないか?」あるいは「家に帰っているつもりだけど、実は自分には家も家族も無いのではないか?」などというような現実離れした考えが浮かんでは消えていく。そして、もしここで動物が飛び出してきて衝突したら、どこにも連絡できず、ただひたすら車が通りかかるのを待つだけだ、という現実に起こりうる恐怖に怯えながら慎重に車を飛ばした。

iPhoneの電池も切れて、疲れ切った頃にようやく知っている道路に出たのだが、知っているはずの道もよくよく見るとなんだか知らない道に思えてくる。「自分はとんでもない思い違いをしているのではないか?」という妄想を振りはらいながらようやく家に辿り着いた。

人間の感覚というものはこうも脆弱なものなのかと思った。簡単に周囲の環境の変化に翻弄されてしまう。

カーナビがあればおそらくここまで心細くはならなかったはずだ。現実の道路などに囚われず電子画面を信じて行けば最短距離で目的地に到着できる。迷う必要は無い。しかしそれは目的達成のために現実にある道路状況を無視することだ。『過程』を無視し、自分を閉じることだ。そこでは起こるはずの心理的な動揺もなく自分が変化することもない。カーナビを例に出すまでも無く私たちは日々電車や車を利用することで、目的地までの『間』をすっとばして行く。そして時間がかかることを『無駄』という。そもそも生きること自体が無駄なのにだ。


今日も一日中人と向き合っていた。人というのは本当にいろいろだ。

自分の状態を人に指摘されて、その言葉を素直にまるごと受け取り自分を大きく変化させることのできる人がいる。一方、人の言葉を『評価』し参考になるところは参考にするというスタンスを崩さず、自分を変えることのできない人がいる。前者は社会的には弱いが、おそらくは許容量の多い豊かな人生を送ることが出来る。後者は社会的には強く、ある程度『成功』するかもしれないが、振幅のある豊かな人生を送ることは出来ないだろう。感受性が強いということは移ろいやすく、傷つきやすいこと。それはたぶん社会的な価値基準で言ったらいわゆる『弱い』ことだ。

学校に行くようになると、自分の意見を持ち、それをはっきりと人に伝えることが必要とされ、前向きで明るくて元気の良いことに価値があると教えられる。信念を持ち、夢を持ち、辛いことがあっても、それをものともせずに乗り越え、あるいは、辛かったことをバネにして、より向上していくことが良い人生だという価値観の押しつけがある。そうして自分の感情に蓋をすることに慣れていき、鈍感になり、いつか蓋をしていることもわからなくなる。

鈍感な人は社会に順応し一見問題が無いように見える。しかし、鈍感であるというまさにそのこと自体が大きな問題なのだ。鈍感な人は感情に流されず正しいことを信じて、疑わずに突き進む。そういう人達が権力を持ち人を人として扱わず社会を荒廃させていくのだ。
by katayama_t | 2012-05-27 23:14 | Life
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
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