まったく休みがない連休が終わった。
昨日は「いちはらアートミックス」で指輪ホテルの公演を観た。鉄道車両や外の風景を存分に活かした演劇は、特に新しくはないが素晴らしかった。「新しい」必要なんて無いのだ、芸術というものは常にその場その時間に1回限り生まれていくものなのだと改めて思わせられた。技術や手法が新しいなんていうものはありふれているし、すぐに陳腐化する。問題は考え方であり中身なのだ。そういう意味であの演劇は素晴らしかった。ラストシーンの美しさには思わず涙が出そうになった。おおげさに言えば生きることの意味を味わうことができた。
そして今日は朝8時に子どもたちを連れて家を出て、10時に千葉市美術館で作品セッティングをして午後から車で上野の国立博物館へ「キトラ古墳展」を観に行ったが、観覧までに80分かかると言われ、あっさりあきらめ、バルテュスをちら見してから上野動物園へ。パンダや象や猿、キリンなどを見て、帰りはアクアラインを飛ばして家に着いたのが4時半。コーヒーを飲んでから混合ガソリンを買ってきて薄暗くなるまで草刈り。
それにしても、キトラ古墳展がものすごく混んでいたが、皆あんなもののどこが面白いのだろう? 人に見せることを前提としない絵や彫刻というものは、私にとっては重要なテーマだからぜひ見たいと思うが、並んでいたあのたくさんの人たちはいったい何を思って見に行くのだろう?
似たようなことを正倉院展の時にも感じる。金や銀や宝石などをあしらっていない木や紙や布でできたあんな古めかしいものをありがたがる国民性っていったい何だろう? わびさびの世界に通じるのはもちろんだが、それだけではなくて、日本という国は結局根無し草的なところがあるのか、自分たちのアイデンティティを常に探し求めているような気もする。古墳や正倉院を見ると、今の韓国や中国の影響は甚大である。そこを知るだけでもこの訳の分からない古いモノ好きの国民性は価値があるのかもしれない。