Katayama Takatoshi Weblog
生活をするということは
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薪ストーブを使い出して今年で13年目。ようやく薪割りのコツがつかめてきた。以前は丸太の年輪に直交するように斧を当てて、丸太が真っ二つになるように力一杯振り下ろしていた。ばかばかしい話だが丸太に真剣勝負を挑んでいたのだ。そんな力任せにせずに年輪に沿って皮をむくように斧を当ていけば楽に割れるのだが、どこかズルをしているようでやろうと思わなかった。それが先日から急にそれをズルだと思わなくなった。

山から丸太を下ろす時にも、今まではまるで修行のように気合いを入れながら重い丸太を一つずつ腕で抱えて山を下りていたが、これもロープと網を使って制御しながら斜面を転がすようにしたらものすごく楽になった。
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今までどうしてそうしなかったのだろうと考えると、今まではたぶん「生活」になりきっていなかったのだと思う。薪割りの達成感や、肉体労働後の心地よい筋肉痛、その後の入浴や飲酒を楽しんでいた。それは悪いことではないが、どこか観光客的で地に足が着いていなかったように思う。

生活をするというのはそういうことではない。生活をするということは、妥協し、負けることだ。そうして日常的に続けていくことだ。それは一見地味でかっこわるい。でも本当は地味なほうがかっこいいのだ。きっと。たぶん。
by katayama_t | 2015-12-20 23:25 | Life
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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