Katayama Takatoshi Weblog
重田先生のこと
21日に中村公紀展の初日に行ってきた。
会場でかるくワインを飲んでから美味しくて楽しい日本酒の店へ行き、一昨年亡くなった藤岡の話から、話題は学生時代に酒を飲んで無茶をした話に移っていった。

当時の学生はほとんど卒業研究などやらずに遊んでいた。学生にもよるけど、酒を飲んで馬鹿ばかりしていたように思う。大学というものをなめていたんじゃないかな。私も学生時代は大学をなめていたし、今でも大学なんてたいしたところじゃないと思ってるけど、行って良かったと心から思えるのは、行かなければ出会えなかったような人たちに出会えたからだ。出会いたくない人たちもたくさんいたけど、出会えて本当に良かったと思える人もごくわずかにいる。中でも故三木成夫先生は、時間的には短い付き合いだったけれども、私が母校で唯一「先生」と呼びたくなる人だ。人が人に教えられる事なんて実はほとんど無い。知識なんて本を読めば良いし、学ぼうと思えば世界には膨大な量の知識や思想の積み重ねがある。

それでも人からしか学べないことはある。それはその人が持っている知識や経験などではなく、人としての生き方や姿勢のようなものだ。素晴らしい人との出会いは、ほんのわずかな時間を一緒に過ごしただけでも、その人の心性や人格というものが深く心に刻まれる。そういう人に出会えたのはとても幸運で幸福なことだ。

私が、大学や、大学の先生や「芸術」というものにほとほと嫌気がさして、もう金輪際関わるまいと思って大学院を出て、それでもまた大学というつまらない組織に関わることになったのも、そこに尊敬できる人との出会いがあったからだ。

「大学でデザイン学科の学生達にものづくりの方法について教えてくれ、常勤だから安定してるぞ」などという、まったくばかばかしい申し出を断り続けて、最終的に、「件の教授が会いたがっている。」と言うから、「なぜこちらから出向かなければいけないのだ!」と内心腹を立てながらも、これで縁が切れるならと思って、わざと遅刻しながら渋々その方の住居兼アトリエのある中野まで会いに行った。そして、まったく予想しなかったことだが、1時間もしないうちに私は軽い感動と共に首を縦に振っていた。この人の為なら多少の寄り道をしても良いと思ったし、むしろこの人の為に何かしたいとさえ思ったからだ。まったく偉ぶったところがなく、私のような無遠慮な若輩者にも「人対人」として実に誠実に対応してくれた。こんな大学の先生もいるのだということが驚きだった。

その方が22日に83歳の生涯を終えた。愛する人たちと自分の描いた絵に見守られながら静かに自宅のアトリエで永眠されたそうだ。

今にして思えば、彼の導きがあったからこそ、自分は人間としての幅が少しは広がったように思う。こういう出会いが無ければ自分は相変わらず偏屈で棘だらけの付き合いにくい人間のままだったように思う。

自分は彼にちゃんとお礼を言ったことがあるかな? とふと不安になる。彼の元で働きだしてからも私は相変わらず、人と対立することを厭わない権威嫌いの不躾な若者で、迷惑しかかけていなかったような気もする。「お礼を言う前に他界してしまった。」というやり場の無い気持ちを抱えて、今、ただ呆然としている。
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by katayama_t | 2015-12-26 09:19 | Life
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
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