Katayama Takatoshi Weblog
デッサンをすることの意味って何だ?
このblogのタイトルにもしたのだが「Dessinデッサン」というのは奥が深い。未だにそれが何なのか言語化できずにいるのだが、少しずつでも考えを記述していこうと思う。

今の職場は総合大学のデザイン学科だが、受験にデッサンを課していない。そしてデッサンをすることの意味を理解している教員は私の他にはおそらくいない。

でも、デッサンをやった方が良いという教員もいる。
その考えが分からないので「どうして?」と聞くと「考えた形を人に示すために絵が描けなければならない」なんて、つまらないことを言ったりする。

デッサンというものが絵を描けるようになる為にだけあるのなら、美術やデザインの勉強にデッサンなんてホントは必要ないのだ。具象美術は死に絶えてるし、デザインの現場ではCGが使われている。

ではなぜデッサンをやるのかと言うと、それは物の見方や考え方を鍛錬する為だ。つまりデッサンをすること自体に意味があるのだ。「デッサンをする」というのは「考える」ということだ。人はものを考える場合には言葉で考える、そしてデザイナーや美術家の言葉は絵(デッサン)なのだ。

美術の世界では(今はどうなのか知らないが)、初心者にいきなりデッサンをさせる。そして、徹底的に「何も教えない」。今にしてみれば不思議だがそれを誰も疑問に思わないで1から自分の頭で考えて描いていく。そうすると実にいろいろなことを考え、いろいろなことが解っていくのだ。

「物を描くということは周囲の空気を描くことと同義だ」とか
「3次元のものを2次元におとすことによる、または画面に入れることによって起きる錯覚」とか
「影と陰の印象の違いはどう表すべきであるか」とか
「光とは何か」とか
「物質とは何か」とか
「存在とは何か」とか
「どうしてタダの線に命が宿るのか」とか
「強さと弱さとは何か」とか
「月にも地球の反射光は当たっているのか」とか
「どうして同じ画材を使っているのに人によって違う色が出るのか」とか
「面白い(funny)とおもしろい(interesting)の違い」とか
「見るとは何か」とか

挙げだしたらキリがないくらいに様々なことを考え、道を歩いていても電車に乗っていてもそのことが頭から離れない。「絵って何だろう?」とは今でもよく考える。

デッサンを描くというのは現在目の前で起きている現象を突き詰めて考えるということでもある。目の前に宇宙の法則の全てがある。絵を描くというのは感性の問題だと思われがちだが、実はその大部分は物理学的、科学的な思考なのだ。

そして、言わばその副産物として3次元的なものの見方が可能になり、「形」が見えるようになる。「形」が見えればそれは描けるのだ。器用さなど関係がない。だから描ける人は左手に鉛筆を持っても、足でも描けるはずだ。

で、さらにそれらを越えたところに「表現」がある。ここまで行って初めて「良いデッサン」になる。

日本の美術大学の場合、入試にデッサンがあるので大学入学前に皆デッサンをやるのだが、ヨーロッパの美術大学ではどうしているのか?今でもデッサンをやっているのか?と疑問なのでいろいろと検索したら、時の人「佐藤可士和」氏がデッサンについて力説してた(笑)。無断で抜粋しとこ。

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http://www5e.biglobe.ne.jp/~gajuku/artisttalkks.htm
可士和; ぼくは、アートに関わる以上「デッサン力」がないとダメだと思っています。「デッサン力」とは「理解力」のことです。描くこと=理解することですから、見方・把握の仕方の訓練が描くこと(デッサン)なんだと思います。また、広告ディレクションは「視点とセンス」が命です。フツウの人と違う視点でものを見て、センス良く再プレゼンテーションすることが広告ですから、ひとつのモノ・コトをいろいろな見方(価値観)で見れるように訓練しなければいけない。そのためには「デッサン」が有効だと思っています。
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彼とはお茶美で一年間同じクラスだった。こんなに有名になるとはみな驚いてるだろうなあ。いくつになっても「若者」って感じでいいなあ(笑)。

それはさておき、ここで言われていることで注目したいのは「絵が描けるようになる為に…」などとは一言も言っていないことだ。それとは一見関係ないように見えるモノ・コトの見方などと言っている(笑)。これはデッサンをやったことのある人なら「そうそう!」と膝を打つような話だが、やったことがなければなかなか理解できないのではないかな…。

私がここの教員になった時にすごく驚いたのはデッサンの授業中に学生が「どう描けばいいんですか?」とか「これでいいんですか?」とか聞いてきたことだ。「それでいいかどうかは自分で考えろ」と思ったのだが、あまりに意表をついた質問だったので口ごもってしまった。その時はなぜそんなことを聞いてくるのか理解できなかったが、今なら解る。「描き方」や「正解」があると思っているのだ。「描き方を教えてくれなければ描けない」という。無理もない。今まで教えてもらえば解るようなことしか勉強してこなかったから。でもこればっかりは「教えてもらっても解らない」のだ。目が見えない人に描き方を教えても描けるわけがないのだ。

そうは思いつつも、今は私が自分自身で獲得した「描き方」を「鉛筆の削り方」から「表現とは何か」に至るまで一から十まで教えている。それもしかたがない。授業で一度デッサンを描いたからといって何もわからないと思うが、何か得たモノがあったと、勘違いでも思ってもらわなければ大学の授業としては成り立たない。そこで頭で解ったような気になってもらうようにしたのだ。つまり授業でやっていることは「デッサン」ではなく「デッサン体験」なのだ。

授業で配るプリントにもそう明確に書いた。

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■目的
 これからデザインの勉強を始めるにあたってそのもっとも基礎となる描写力や立体を把握する能力、さらには自分で形を作り出す創造力,造形力を養うためにはデッサンは格好の訓練方法です。この課題ではデッサンの考え方や具体的な描写方法を学び、実制作を通して体験し、今後各自で鍛錬していくための指針となることを目的とします。
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これはつまり「この授業を受けただけでデッサンをやったような気になるな。きっかけは作った。あとは自分でやれ」と暗に言っているのだ(笑)。

私は必ずしも美術やデザインの教育にデッサンが必要とは思っていない。その代わりに哲学でも良いのではないのか?と思っているくらいだが、自分自身で考える力が獲得出来、ついでに目も見えるようになるような実践的な課題は他に見あたらないのだ。
by katayama_t | 2007-05-08 22:28 | Art
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by katayama_t
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