Katayama Takatoshi Weblog
家には同じ本が何冊もある
また同じ本を買ってしまった。これで4冊目かな…。読みたいと思ったときにはどういうわけか見あたらないのでその都度また買ってしまう。

クリシュナムルティには大学生の頃に出会った。
きっかけは些細なことだ。

何年生の時だったか忘れたが油絵科の友人が夏休みにインドに旅行に行った。

私たちの世代は小学生の頃に「浅間山荘事件」を経験し、安保も学生運動も全て失敗に終わって世の中から忘れ去られた頃に大学生になった。インドブームもとうの昔に去り、「パリを見たい!」というやむにやまれぬ衝動もなく、高度成長の中、何不自由なく過ごしてきた。無気力、無感動、無関心の三無主義と言われたいわゆる「しらけ世代」だ。おまけに学生の頃はバブルの真っ最中で世の中全体が浮かれており、「思想」なんてものは流行らなかった。私たちよりも上の世代はやけに元気で自信に満ちているように感じられて、それがまた不信感につながり、大人という大人はみんな嫌いだった。もっともそれは私だけかもしれないが…。

だからインド思想にも関心が無く、むしろそういうものに対しては懐疑的で、インドに旅行に行く理由も、ただ単に「安いから」という理由以外に無い。

友人も宗教は毛嫌いしていたし、インドの神秘なんて笑い飛ばしていたのだが、その彼がインドに行ったきり夏休みが終わっても帰ってこない。そして、ようやく帰ってきたと思ったら、なんだか様子が変だったのだ。いつも一人で虚空をみつめてにやにやしている。気味が悪いったらないが、一応友人なので「どうかしたのか?」と声をかけた。そしたら、彼が言うにはインドに行って何かが変わってしまったのだと言う。

最初は、体の中を風が通り抜けているような感じがして、手の平から明らかに何かが吹き出している感じがしたそうだ。
私は「またややこしい話を始めたな…」と思いつつ「インドで何か変な薬をやったんじゃないか?」と聞いてみたが、「いやそんなことはない、観光なんてほとんどせず田舎で毎日おいしい野菜ばかり食べて寝ていたんだ。」と言う。

そして日本に帰ってきたらどうも体がおかしい。どうおかしいかというと、毎日手の平から風のような何かが出ていて精神的に落ち着かないし、何か重大な変化が起きているような感じがひしひしとするが、どうすればよいのかわからない。そこで彼はとりあえず病院に行ったそうだ。
しかし、検査をしても異常はなく、健康そのもの。しかたがないので自力であれこれ調べているうちに、これはどうやら「気」というものらしい…。ということが解ってきた。そうこうしているうちに日に日に症状が悪化して、今では人の体調などを感じとってしまったり草木の「気」も感じるようになってしまったので、いつもにやにやしているように見えるんじゃないか、と言う。

それは、何か訓練して「気」が強くなってきているの?と聞くと、そんなことは全くなく逆にくだらないテレビを寝転がってぼーっと眺めていたりすると突然手の平からすごい勢いで「気」が出てくるのだという。元来怠け者なので何もしないでいることが多いのだが、そうするとますます「気」が強くなっていく。困ったものだという。

なんだか、わけのわからない話だが、嘘をついているようには見えないし、そういうこともあるんだなあ…、くらいに思っていた。

その後、たまたま立ち寄った本屋で彼の言っていたことを思い出し、思い立っていつもは行かないインド思想の書棚に行ってみた。「神秘」とか「真理」とかいうコトバがでかでかと表紙に出ているような、うんざりするような本が並んでいた中で、そっけないほどシンプルな表紙の薄い本が目にとまった。そしてぱらぱらとめくると、押しつけがましいようなコトバも無かったので、気まぐれに買ってみたのだ。
それがクリシュナムルティとの出会いだ。

買った本は「クリシュナムルティの日記」という本で、帰りの電車の中で読んでみたのだが、これが困った本だった。使われている言葉は平易だが、言わんとしていることが全く理解できない。まるで禅問答だ。いったい何を言っているのかわからないまま読み進めて、読み終わっても全く解らなかったが、不思議と惹かれるものがあって何度も何度も読み返した。学生時代はけっこう暇だったのだ。

そんなある日、道を歩いていていつものように本に書かれていた言葉を暇にまかせて反芻していると、突然雷に打たれたように理解してしまった。いや正確に言うと理解したというよりは、本に書かれている言葉を理解しようと自分の中で何度も反芻しているうちに突如として視界が開けたという感じだ。瞬間、自分の脳が自分の外の世界にすごい勢いで拡散していくようだった。自分の体中の細胞が外の世界に開かれたような気がした。周囲の全てが輝いて見えて、一瞬のうちに世界ががらりと変わった(またすぐにもとに戻ったが(笑))。その体験はそれまでの自分の人生の中で一番の衝撃だったといっていい。なにしろ「しらけ世代」だ、些細なことには動じないし、めったなことでは感動なんてしない。

この本には言葉では説明できないことが書かれていた。だから言葉の意味を探ろうとしても理解できない。何かすごいことが書かれているのではないか、などと期待して読んだらまったく期待はずれに終わるだろう。何かを得ようとして読んでも得るところは何も無い。でもとても魅力的な本だ。そんなわけで先日「ムルティの日記」の何冊目かを買った。同じ本が家の中の荷物の段ボールの古い地層のほうに数冊埋まっているはずなのだが。
by katayama_t | 2007-09-19 23:52 | Life
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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