Katayama Takatoshi Weblog
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象山幼稚園
今日は休暇をとって沼津の銀行にお金をおろしにいった。土地購入の代金だ。

口座のある郵便局のとなりが象山幼稚園、わたしの母校だ。園庭をみるとものすごくたくさんの子ども達が元気に遊んでいる。
この少子化の時代にこれはいったいどうしたことだ?と思って一緒に来ていた母に聞いたら、とても人気があって遠くの方からも入園してくるのだそうだ。
どうしてそんなに人気があるの?と聞くと、とにかくよく遊ばせるので評判がいいとのこと。海岸に行ったり、川に行ったり、よく外に連れ出して遊ばせているのだそうだ。畑で野菜を作って昼食時に調理して食べたりもしているらしい。

こう聞くと別に普通じゃないか、と思うかもしれないが、私の住んでいるところの保育園(幼稚園がない)と比べたら全然普通じゃない(どっちが「普通」かという議論はあるだろうが)。
私の近所の保育園では保育といっても部屋でアニメのビデオを見せていたり、紙芝居はアンパンマンだったり、お遊戯もテレビでやってる何かの番組を模していたり、もうがっかりだ。それで1ヶ月25000円もとられる。あまりにばかばかしいので3番目の子は行かせていない。他にも都内からこちらへ越してきたような人達は、子どもを行かせない人が多いらしい。

以前は保育内容に関して「これはおかしい」と思ったら、その都度言ってきたのだが、根本のところで保育理念のようなものがなく、一時が万事そんな調子なのでもうあきらめた。
「節分で撒いた豆を箒で掃いてゴミ箱に捨てるなんてとんでもない」と言ったって、そもそもそういうことができてしまうような感覚なのだから、何を言っても無駄だ。

象山幼稚園のホームページをみると、教育目標に
「象山幼稚園では自然の中で伸び伸びと子どもを育て、基本となる人間形成をじっくり育み、自分の考えをはっきりと表現できる人となるように教育をしております。」
とある。なるほど、すてきだ。
子どもの人数は1学年70〜80人くらいのようだ。新興住宅地もマンションも無い田舎の幼稚園としてはとんでもなく多い(ちなみにうちの近所は14〜15人)。そして田舎の幼稚園といっても保育内容には「リトミック」があったりする。やはり教育理念がしっかりしているのだ。

今は小学校や中学校でも私立を選択する親が多いらしいが、こうしてみるとわかる気がする。
象山幼稚園も私立だから理念を持ってやっていけるのだろう。
by katayama_t | 2008-02-28 23:48 | Social
卒展に思う
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今日は芸大の卒展に行った。
彫刻はここ数年とてもレベルが落ちているという話を聞いていたのでどんなものだろうと思っていたのだが、それほど変わっていないのでは?と思った。
ただ、昔は大学院と保存修復の作品が同じ空間に展示してあったので、もっとたくさん作品があるような印象ではあった。

学部の卒展はもともとそれほどレベルが高くない。
でも少し質は変わったな、とは思う。一言でいうと「具象」が多い。それも造形的、構築的な作品ではなく、ちょっとグロテスクなイメージを持たせた作品。
空間や形の問題よりも人の感情を動かそうとしている作品が多いという印象を受けた。

作品というのは見る人の持っている文化によって見方が変わるものだが、感情にうったえる作品は特に人によって大きく見え方が変わる。似たような感性を持った人には理解しやすいが、そうでない人にはただ気持ち悪いだけということになりかねない。そこを超えて普遍性を獲得するには、やはり造形的な強度を持った「形」が必要になるのだろう。「美(神)」というのはそこに宿るのだ。

私たちがキリスト教徒でもないのにミケランジェロの「ピエタ」に感動できるのは、キリスト教徒にしか理解できない価値を超えてそこに造形的な強度をもった普遍的な「形の美」があるからだ。

「美」の条件に普遍性は欠かせない。

ざっと各科を見た後、都美館を後にして次に藝大内の展示を見に行った。こちらは大学院の展示。学部と比べるとぐっとレベルが上がるのがわかる。たった2年でこれほどレベルに差があるというのはどういうことなのだろう?
腕が上がるというよりは意識の差なのか?と考えた。
「プロフェッショナル」というのは、いつからそうなるのか、と考えてみると自分がそう意識したときからなのではないか、と思う。大学で課題作品を作って提出するということではなく、自分が作るものは常に世界に向けて発信しているのだ、と意識し、どこに出しても通用するものを作ろうとすることで、プロか否かは決まるという気がする。意識は一瞬で変えられる。大学院は2年もあって授業はほとんどない、その間に意識の変化があっても不思議ではないだろう。

大学美術館を見てから最後に彫刻棟の展示を見た。卒業してから初めて彫刻棟へ足を踏み入れたが、20年近く離れていたとは思えないほど違和感がないのに自分でも驚いた。ここにいた時間というのは十代の終わりから二十代の前半という、いろいろなことを学びうる人生の中でも重要な時期だ。その時期に過ごした場所というのはこんなにも強く人の心に刻み込まれるものなのか、と何の抵抗もなく彫刻棟になじんでいる自分を見て思った。
by katayama_t | 2008-02-22 22:34 | Art
造成工事:大量の杉の木
だいぶ杉を伐採した。材木が大量に出るが(写真に写っている量の4倍くらいある)、建材にするには細くて目も粗いし、薪にするにしても量が多すぎる。誰か貰い手がないかと不動産屋も困っているが、貰うにしても運搬や保管に金がかかるようなものを貰う人はいない。かといって産廃に出したりしたら大変なお金がかかる。

昔は雑木林を切って杉を植えると補助金が貰えたので、皆こぞって杉を植えたが、今となっては管理されてない杉林など花粉は飛ぶし、建材としても使えないし、ほおっておけば風で倒れてくるし、邪魔なだけだ。困ったものである。
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by katayama_t | 2008-02-17 23:40 | Construction
春はすぐそこ
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今日は薪割りの日。
寒くて外に出る気もしないが、薪が無くなったらもっと寒くなるのでしかたがない。
意を決して外に出て薪割りを始めてしまえばポカポカと汗ばんでくる。

我が家は大工さんの自宅だったところだが、まさに「紺屋の白袴」という感じで、かなりいいかげんに作ってある。戦後すぐという時代もあったのだろうが、設計に断熱という考え方が無い。

引っ越してきたときに壁の板が剥がれかけていたので自分で張り直そうとほんの4mm程の壁板を剥がしたらその向こうは波形トタンが1枚あるだけでもう外だった。窓はところどころ割れた薄いガラスがはまっているだけで、隙間だらけ。そして昔台所だった土間と部屋が一部つながっているのだが、土間と外とは猫が自由に出入りできるくらい何もない空間が空いている。天井裏には動物が自由に出入りしているし、風呂場は外にあるので、毎日裸でサンダルを履いて風呂場まで外を歩いている。よくこんなところに住んでいたな、と思うが、自分達もすでに4年住んでいるのだから慣れればなんとかなるものなのだ。

庭の梅の木に花が咲いた。春はすぐそこまで来ている。
by katayama_t | 2008-02-16 23:14 | Life
現実から逃避するための装置
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今日は画廊に残していった荷物を取りに都内まで出た。
湾岸道路を走っているとすぐ近くにディズニーランドの建物が見えるが、こんなものを許可していいのか? と思うほど悪趣味。
ディズニーランドとラブホテルはシュミが似ているが、建物が巨大なぶんディズニーのほうが罪が大きいと思う。

ディズニーもラブホも、退屈な日常や退屈な自分自身から離れるための装置だから現実離れしている必要があるのだ。そこにいる間だけは我を忘れることが出来るように。
by katayama_t | 2008-02-14 23:50 | Social
誰だって生まれたくて生まれてきたんだ
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連休は久しぶりに家で過ごした。
日曜日に気性の激しい小学1年生の次女とやりあっていて、「もう死んだっていい!!」「どうして生まれてきたの? 生まれたくなかった、生まれてこなければ良かった!!」「いますぐ死ぬ!!!」なんてことを言うので、「やれやれ、また始まった」と思いながら「どうして私たちは生まれてきたのだろう?」と考えた。

そして、確信をもって「誰でも生まれたくて生まれてきたんだよ」と答えた。
ケガをして痛いと感じるのも、お腹がすくのも、そして「死にたい」と言うのも、「生きたい」からだ。『自分』なんてことを考える前に生物としての「自分」は生まれたい、生きたい、と強烈に願っている。

そして誰でもいつかは必ず死ぬ。生まれたいと願って生まれてきて、ほんの数十年で死んでしまう。だから「生きている」ことが愛おしいんだ。

○○が死んだらみんな悲しむ。簡単にそんなことを言ってはダメだ。

彼女は神妙な顔をして聞いていたが、頭の良い子だ、たぶん全部解っているのだ。でも、気性が激しく、不器用で、じょうずに甘えることができないので時々かんしゃくを起こす。かんしゃくを起こしては、次の日はすっきりと機嫌がいい。

この子は人を怒らせるための天性の素質がある。そういう挑発に乗って、こっちも怒鳴りだしたら、負けだ。

親と離れて暮らしていて信頼できる大人と一対一の関係を結べなかった子どもが、育て親の家族に迎えられると、最初はおとなしいが、徐々に表情が出てきて、感情を出していき、そのうち強烈な「後追い」が始まる。

初めて親と呼べるような人に出会うと、今までの分も取り返すかのように母親と片時も離れようとしない。少しでも離れると泣きわめき、寝る時もつきっきりだ。寝息を立てているので、そろそろ寝たかなと布団に寝せようとすると肌が離れる感触に敏感に反応してまた泣きわめく。母親は毎日24時間子どもとの、また、自分との戦いだ。そしていよいよ「この人は大丈夫かも」と感じてくると、今度はわざと怒られるようなことをして親を試す。茶碗を落としてみたり、もうそんな年齢じゃないのにおむつにうんちをしてみたり。ちょっとしたことで大声で泣いて泣きやまなかったり…。

この人はどんなことがあっても自分を見捨てないと確信できるまでそれは続く。

この子を見ていると、まだそれが続いているかのようだ。
「世の中にはこういう甘え方しかできない不器用な人もいるんだ」ということがこの子と出会って初めてわかった。
これからもこんなことの繰り返しだろう。
by katayama_t | 2008-02-14 01:00 | Life
造成始まる
先日契約した土地の造成工事が始まっている。買った土地は木が切ってあるところから右側と山の裏斜面全部で約1000坪。

植えてあった杉は挿し木で植えられたもので手入れもされておらずあまり良い材ではないので全て処分してもらうことにした。上の方の崖を崩して平地を作り、その上に家を建てる予定。でも土地購入と造成工事でお金を使い果たすので、家はいつになることやらだ。

1000坪といっても大半は北側の傾斜地なので使い方を工夫しなければ管理に手間がかかるだけだが、うまく使えば面白い土地になりそうだ。
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by katayama_t | 2008-02-11 13:45 | Construction
学習発表会
今朝は7時半に家を出て耳鼻科に行き、帰ってきてから薪割り。その後お昼を食べて学校へ子どもの学習発表会を見に行った。
各学年が一年間学んだことの成果を発表するのだが、これが笑える。2年生の発表では九九が言えるようになった、と言って披露したのだが、最初にのんびりと「い〜ち〜の〜だん」とか「に〜の〜だん」というアナウンスが入って、その後2人一組で早口言葉を競うように

「いちいちがいち、いちにがに、いちさん⁂さ*、い$%よん‡ヸ、いちごがヹユョユヱン@.,;*、いちきゅうがきゅう!」

「ににんがし、にさんがろく、にしがはちにごじゅうのろくじゅう‡,;*あdssj⁂、にくじゅうはち!!」

という具合に、つばを飛ばしながらマイクに向かって必死に叫んでいた(笑)。

何か間違っているが、面白いからまあいいか。

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by katayama_t | 2008-02-09 22:16 | Life
土地契約
土地を買った。お金はまだ払ってないけど。
大多喜町を中心に探していたのだが、結局隣町になった。
大多喜は土地を手放す人が少ない。だからこそ開発もされず良い風景が残っているわけだ。よそ者が簡単に入ってこられる土地じゃないので、これからも良い風景が残っていくだろう…。自分もそれに従おう、ということであきらめた。

大多喜で「売っても良い」という土地は日当たりが悪かったり、ヤマビルが出たり住むには適さない土地ばかりだ。それにヤマビルの生息域は鹿とともに近年広がりを見せていて、あと数年で今住んでいるところも腐海に飲み込まれる、じゃなくて、ヤマビル被害に遭うだろうと言われている。

このままヤマビル被害が増えていけば住む人も減り、ますます腐海が広がって本当の自然に戻っていくのかもしれない。それもよかろう。
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結局土地が手に入る地域というのは誰にでも売ってしまうような土地柄で、周囲はそれなりに開発もされやすい。でもこれから日本の人口は減っていくのだから今以上に交通量が増えることも無いだろうという希望的観測で日当たりの良い道路に面した土地を買った。これでようやく次の行程に進める。

お金はあちこちからかき集める。出身地沼津の自分名義の銀行口座には子どもの頃の100円貯金やお年玉の貯金、中学校の時に車にはねられた時の示談金(そんなものがあるとは知らなかった)、結婚したときの祝儀、子どもを迎えた時の祝儀などに加えて、母親が自分のボーナスを入れてくれたりしていたらしく、かなりの金額になっているようだ。
まったく親というのはありがたい。そんな口座があると知っていたら自分はもうとっくに使いきっていただろう。今まで言わないでいてくれてありがとう。
こういうことがあると、自分も子ども達に何か残したいな、と思うが今のところまったく自信がない。

あさっては大多喜で恒例の鹿柵作りだ。
by katayama_t | 2008-02-08 22:30 | Life
銀座でお食事会
やれやれ疲れた。昨夜はまた泊まりだった。
銀座で飲んで初対面の人達とたくさん話をした。
普段ほとんど人と話をしないので、たまにはこういうのも良い。
いろんな人と話をすると世の中の現象に対し自分の感じていることは、他の人も感じているのだということがわかり少し心強くなる。
かつてパリのカフェで芸術家や作家たちが交流していたように、画廊はいろんな分野の人を繋げる役割を担っている。建築家や音楽家、美術評論家、デザイナー、文化人類学者、哲学者など普段出会わないような方達と話ができる機会は画廊に行かなければあまりない。

それにしても美術をやっている人達は年齢がわからない。昨日も隣に座っていた美術家と話をしていて、「もう定年退職した」なんて話を聞いて、「定年?」「60歳?」と何度も聞き返してしまった。どうみたってそんな年齢には見えないし、見方によっては私よりも若い。
そのやりとりを聞いていた東崎さんが「だって好きなことしかやってないんだもの」なんて言うが、そういう単純なものなのか?
「ダリコ」の秋山祐徳太子さんも先日巷房に訪れたが、元気そのものでとても73歳には見えない。まあ、あの方は特別かもしれないが。
by katayama_t | 2008-02-05 07:18 | Life


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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