Katayama Takatoshi Weblog
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ブルックナー休止
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アントン・ブルックナーは「何か違うことを始めるためには、休みが無ければならない」と言って曲中に突然全ての演奏を止める総休止符(ゲネラル・パウゼ)を置く手法を多用した。そしてそれまでとは全く違う旋律を奏で始めるのだ。

最近少しずつ身辺を整理している。荷物が多すぎて何もできないから。
いらない物は捨てて少しずつ環境を整えると、作業空間が広くなるので、ふつふつと何か新しいことをしたい気持ちが沸き上がってくるが、それをぐっと抑えて一通り片付くまでは我慢。

5年ほど前の引っ越しの荷物も未開封のままだし、これまでずっと前回の個展の片付けが終わらないまま次の制作に入っていたので、物が積み重なり、自分でも何がどこにあるのか分からない状態。とても制作どころではないし、散らかりほうだいの作業場を見ると気分が滅入る。

今回は次の個展まで少し時間があるので、過去の物は全て片づけて、自分をリセットし、まっさらな状態でまた新たに始めようと思う。
by katayama_t | 2009-05-19 18:41 | Life
絵画は奇跡を起こさなければならない
d0094333_19574961.jpg「絵を描くことが自己表現に関わると考えたことは、これまでに一度もありません。」「自分自身を知るのが貴重なのは、そうすれば作品制作の過程から自己を排除できるからにすぎません。」マーク・ロスコ

美術家なら以上のような言葉は驚くに値せず、むしろ当然すぎるほど当然なことだ。美術家でなくても芸術を解する人であれば、芸術作品というものが個人を超えたものであることは見ればわかる。自明だ。
しかし、一般には芸術作品を創造することは自己表現だと思われている節がある。NHKの日曜美術館が我慢ならないのは、芸術家個人と作品を過度に関連づけて芸術作品を「メロドラマ」に貶めているからだが、それが長年続いているのは世の中に受け入れられているということなのだろう。
絵画は自己表現ではない。
そして色彩や構図の効果だけで成り立つものでもない。絵画とはもっと不可解で不思議なものだ。

「絵画は奇跡を起こさなければならない。完成した瞬間に、創作物と創作者の間の親密な関係は終結する。作者は部外者となる。絵画は作者にとっても、後にそれを体験するひとのだれとも同じように、天啓でなければならない。」マーク・ロスコ

川村記念美術館で開催されているマーク・ロスコ展を見た。
ロンドンのテート・モダンでは32万人の観客を集めた展覧会だ。
目玉は散逸している「シーグラム壁画」15点を1室に集めた展示。すばらしいの一言。
圧巻である。

1995年に日本各地を巡回した日本初のロスコ展は作品を年代順に1点1点並べた展覧会で、それはそれでロスコという画家を理解するにはとても良い展覧会であったが、今回のはまったく別物。ロスコ芸術を体感する展覧会となっている。

「シーグラム壁画」というのは、ニューヨークのシーグラムビル(ミース・ファン・デル・ローエ設計)内にオープンするレストラン「フォー・シーズンズ」の壁面を飾るためにロスコが依頼された連作絵画で全30枚の現存が確認されている。かねてより自分の作品のみで一室を満たしたいと考えていたロスコはこの依頼に飛びつくが、完成したレストランの雰囲気が気に入らなかったロスコは自らこの依頼を断る。そして完成していた30枚の連作が行き場を失ってしまった。

「レストランの雰囲気が気に入らなかったから断った」と言われているが、実際はレストランを見る前から、自分の絵がレストランには合わないことは分かっていたはずだ。

ロスコはレストラン完成前にヨーロッパに向かう船旅の中で「フォー・シーズンズ」のことを「ニューヨークの金満家どもが食事にありつき、見栄を張るための場所」とこき下ろし、さらに「この仕事を、ただ悪意のみに突き動かされ、言いがかりをつけるつもりで引き受けた。あの部屋で食事をするろくでなしたちが、一人残らず食欲を失うような絵が描きたい」と言ったという。

確かにあの空間では食事どころじゃない。食事どころか会話も出来ないだろう。展示室に入った瞬間に胸がいっぱいになる。圧倒的な空間。

昔、友人が「ロスコの絵の前に立ったらぽろぽろと涙があふれ出てきて、自分でも驚いた」と言っていたのを思い出した。

「絵画」とはなんと不思議なものなのだろうと思う。
「奇跡」とはこういうもののことを言うのだ。
by katayama_t | 2009-05-05 19:59 | Art
コンクールなんてくそくらえである
今日は子ども達の授業参観日。
1学年1クラスで約15人。このくらいの人数なら全ての子どもに目が届くし、丁寧な教え方もできるだろう。私たちの頃は1クラス40人以上いたから全く授業に参加していない子どもがいてもそれほど目立たなかったが、今は授業中に全員が順番に発表したりもするので、子ども達も心ここにあらずというわけにはいかない。アガリ症で発表が苦手な子どもは大変かもしれないが、子どもの頃から人前で発表することに少しずつ慣れておけば大人になってから楽かも。

廊下には何かのコンクールで賞をとった絵が20枚ほど飾られていた。良く描けていて、一瞬すごいなと思ったのだが、よく見るとどれもよく似ている。例えばザリガニの絵は画面いっぱいにザリガニを描いてその周囲に小さな子ども達を描き、迫力を出している構図で、どれも同じ作者かと思うほどよく似ている。ザリガニの色も一色ではなく、微妙に濃度を変えた色を点描のように重ねていて、重厚な感じが良く出ている。明らかに先生の「指導」が入っている絵だ。そういう目で改めて見てみると、どの絵も同じパターンで描かれていて、色や塗り方にも指導が入っているのが見える。

人数が少ないから個別対応が出来てしまうことの弊害もあるのだと思った。美術を他の教科と同じように教えているのだ。

こういうふうにすれば確かに賞には入りやすいかもしれないが、美術ってそういうものか?
否!
断じて違う。
美術というのは賞を取るとか取らないとかいう「競争」とは相容れないものだ。
コンクールで賞を取るというような一般社会で尊重される価値観と最も遠いところにあるのが美術であり芸術なのだ。

でも、それを学校で子ども達に教えることは難しい。そこに足を突っ込んだら他の教科も、学校のありかたも、ひいては人の生き方までをも問い直すような本質論にならざるを得ないだろう。

せめて美術に関しては何も教えないでいてくれれば、そのほうがよほど良いのだが…。
by katayama_t | 2009-05-02 22:19 | Art
ホックニーがiPhoneでお絵かき
デビッド・ホックニーが最近iPhoneで絵を描いているらしい…。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2598707/4083783
4月30日からロンドンの「Annely Juda」ギャラリーでiPhoneを使って描いた作品の展覧会「Drawing In A Printing Machine」が始まったそうだ。
たぶんひどい絵なんだろうなあ…。と思って画像を探したらあった。
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…。
71才にもなってこの屈託の無さはすごいかも…。
私も見習わなきゃな。

でもこれはiPhoneじゃなくてグラフィックタブレットなんじゃないか?
by katayama_t | 2009-05-02 00:28 | Art
卓上彫刻2完成
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一応完成。あまり良く無いが、これ以上いじっても良くはならないので、あきらめて第3弾を作ることにする。上から写すとロシア構成主義みたい。
by katayama_t | 2009-05-01 17:29 | Art


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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