Katayama Takatoshi Weblog
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社会と作品との距離
友人達から個展の案内状が次々に届く。いつもと変わらず。

皆どんな気持ちで作品を作っているのだろう? 無力感に襲われてはいないだろうか? 自分のすぐ近くで大惨事が起きてたくさんの人が亡くなり、今なお厳しい状況にあるこの時に、いったい何を作ればいいのか、そもそも作品などを作っている場合なのか、自分のやっていることに何か意味があるのか、自分の行いは回りまわって世の中の為になっているとなんとか思い込むことでそこを直視しないようにしているのか、それとも何の役にもたっていないと分かっていても自分のために作るしかないのか。

イラク戦争の時には、私も個展を控えていてとても苦しんだ。戦争反対の街頭デモにも行ったし、様々な署名活動もした。国会に行って議員に手紙を渡しもした。アメリカのやることを止めることができるとは思えないが、日本人として、この戦争に荷担することはどうしても受け入れられない。いったいこんな時に個展などやっている場合なのか? という疑問が頭から離れず、制作中も何度も無力感に襲われた。

でも、他に何ができただろう? 戦争反対を直接訴えるような作品も考えた。しかし、自分が抱えている問題や感情はもっと複雑で、単に戦争反対とか暴力反対とかいうものではなく、もっと直接人間の根幹に関することだった。人間に失望していた。完全に無力だった。

それでもとにかく作り続けた。作品を作ることでなんとか平静を保っていられたし、深く考えることもできた。

制作中いつも頭の中に響いていた言葉がある。

『君が考えることは人類が考えるということ』 埴谷雄高の言葉だ。

2003年の3月20にアメリカがイラクに侵攻し、4月、戦争が始まって間もなく、その言葉を冠した個展を開催した。

戦争を無くすための役にたったとはまったく思わないけれど、祈りつつ手を動かして作品を制作していく過程は自分自身のためには確実になった。そしてそれはどんなに小さくとも人類の足跡なのだと思った。

作品は何かを訴えるための言葉ではない。作者の心を反映はするが、そこに縛られるものでもない。それはもっと複雑で多義的で普遍的で独立したものだ。
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by katayama_t | 2011-05-21 22:31 | Art
「風知草」から目が離せない
新聞記事を読んで興奮することはほとんど無いが、毎日新聞の「風知草」山田孝男氏(毎日新聞専門編集委員)の最近のコラムは読むたび興奮を覚える。

4月18日の“浜岡原発を止めよ”から始まって、“「原発への警鐘」再び”(4/25)、“再び「浜岡原発」を問う”(5/2)、“暴走しているのは誰か”(5/9)、そして今日(5/16)のコラムは“原発に頼らぬ幸福”というタイトル。そのタイトルだけ見ても分かるとおり、国策である原発推進路線に真っ向から意義を唱える内容だ。

“浜岡原発を止めよ”では4月18日のブログに書いたように、大手の新聞にこういうことが堂々と載ることにまず驚いたが、その後も山田孝男氏の勢いは止まらない。“「原発への警鐘」再び”では、30年来、原発への警鐘を打ち鳴らし続けてきた経済評論家、内橋克人氏を紹介し、次のように書く

「内橋はこう言っている。原発安全神話には根拠がない。原発推進の是非が国会やメディアを通じ、文字通り国民的議論に付されたためしがない。あくなき利益追求という経済構造に支配されているのが実態だ。その危うさを問うべき学者も、メディアも、利益構造の中に埋没している。その現実が、地震と津波であらわになったというのが内橋の確信である。」

さらに、“再び「浜岡原発」を問う”というコラムで、「民間企業に大局判断は無理というなら、政府が出るしかない。安全を守る国家意思を明確にして政治をリセットするためにも、日本の技術に対する国際的不信をぬぐうためにも、まず浜岡原発を止めてもらいたい。」と言う。そして、その4日後に首相の緊急記者会見があり、浜岡原発停止要請があった。

さらにさらに、5月9日「暴走しているのは誰か」では、放射性廃棄物の問題を取り上げ、首相の浜岡停止要請を評価しつつ、「これは、福島の、あれだけの惨状を直視して原発依存を見直そうという常識と、福島を見くびり、過去の惰性に開き直る時代錯誤との戦いである。首相の次の一手に注目する。」と結ぶ。

原発依存が時代錯誤だと喝破し、さらに「次の一手」と言う。それは言うまでもなく浜岡だけではなく、他の原発も中期的に抑制していくということだろう。

そして今日のコラムでは日本経団連会長と東大工学部原子力工学科卒の原子力エリート達を敵に回してこう結ぶ。

「専門家は「脱原発」「反原発」勢力を愚民視する悪癖をあらため、大衆的な議論の場に身をさらすべきだ。もはや民衆の理解と共感のない国策こそ絵空事である。」

まったくの正論である。そして、ベルリンの壁が崩壊した時にも似た危険なほどの興奮を覚える。動かないと思っていたものが、あっけなく動くことは間々ある。それで全てがうまくいくわけではないことは心しなければならないが。
by katayama_t | 2011-05-16 22:44 | Social
連休は終わり、壁貼りは終わらず
連休中に壁をほとんど貼り終えるつもりでいたが、ぜ・ん・ぜ・ん 進まない。とりあえず周囲の壁から攻めていっている。
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by katayama_t | 2011-05-06 23:12 | Construction


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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