Katayama Takatoshi Weblog
生活をするということは
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薪ストーブを使い出して今年で13年目。ようやく薪割りのコツがつかめてきた。以前は丸太の年輪に直交するように斧を当てて、丸太が真っ二つになるように力一杯振り下ろしていた。ばかばかしい話だが丸太に真剣勝負を挑んでいたのだ。そんな力任せにせずに年輪に沿って皮をむくように斧を当ていけば楽に割れるのだが、どこかズルをしているようでやろうと思わなかった。それが先日から急にそれをズルだと思わなくなった。

山から丸太を下ろす時にも、今まではまるで修行のように気合いを入れながら重い丸太を一つずつ腕で抱えて山を下りていたが、これもロープと網を使って制御しながら斜面を転がすようにしたらものすごく楽になった。
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今までどうしてそうしなかったのだろうと考えると、今まではたぶん「生活」になりきっていなかったのだと思う。薪割りの達成感や、肉体労働後の心地よい筋肉痛、その後の入浴や飲酒を楽しんでいた。それは悪いことではないが、どこか観光客的で地に足が着いていなかったように思う。

生活をするというのはそういうことではない。生活をするということは、妥協し、負けることだ。そうして日常的に続けていくことだ。それは一見地味でかっこわるい。でも本当は地味なほうがかっこいいのだ。きっと。たぶん。
# by katayama_t | 2015-12-20 23:25 | Life
日本語が亡びるとき:水村美苗
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著者にファンレターを書きたいと思ったのは初めてだ。知的で過激な文章。晴れ晴れとしたこの読後感……。「読む快楽を与えない文章は文章ではない」と言い切るこの清々しさ。

子どもの頃から評論を読むのが苦手だった。正直言って大学で読まなければならない「論文」もまともに読み切ったことがない。読んだ端から忘れていき、ちっとも頭に入らない。かといって小説も最近のあまりに小説くさいのは食傷気味。思わせぶりな書き出しだけでもううんざりである。

この本は堂々たる評論だが、力のある小説家が評論を書くとこうも読ませるものかと驚いた。抑制が効いていて、言いたいことはさらりと過激にユーモアを込めてしっかりと言う。文章がうまいというのはこういうことを言うのだよな、と改めて思った。

久しぶりに知的で読む快楽を与えてくれる日本語を読みたくなった。漱石でも読もうかしら。
# by katayama_t | 2015-12-14 21:07 | Life
人の多面性について
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桐野夏生のグロテスクを読んだ後、じわじわとダメージが来ていて、そのもやもやした感じを晴らすべく続けざまに「東電OL殺人事件」を読んだ。これは、小説の題材になった事件を描いたノンフィクションだ。

最初は、感動の押し売りみたいな陳腐でつまらぬ文章だなと思いながら読んでいたが、いつの間にか引き込まれていった。事実の力はすごい。小説は人が作ったものなので矛盾は無いが、実際の人間は矛盾だらけだ。人の行動をどんなに的確に理由付けしてみたところで、それでもなお、「どうして?」という思いは残る。おそらく人間には当の本人にも分からない衝動というものがあって、それがその人の行動を決定づけているのだろう。どんなに想像力を働かせてみたところで結局は「解らなさ」が残る。

「人間は黒か白かだけで判断できるほど生やさしいものではない。だからこそ人間は面白いのだ。」という一文が端的に示しているように、人間は誰でも多面体だ。
聖人扱いされている人物でも人間である以上実際には様々な面があるはずで、ある面から見てみれば決して褒められた人間ではないだろう。それを1つの面だけ強調して理解しようとするのは、人々の願望であって、結果としてその人を平板なつまらぬ人物に見せているのではないだろうか。

事件被害者の東電OLは父親を過度に尊敬するあまり、父の死がその後の転落の引き金になったという見方が有力だ。だとしたら、彼女は最後まで子どものままで自分の人生を生きていなかったのではないか。父の嫌な面には目をつむり尊敬できる面だけを強調して見ていたのではないか。しかし、立派なだけの人間などいない。人には様々な面がある。そのことを了解してなおかつ人は面白いと思えることが大人になるということなのかもしれない。

今日、葉山の美術館に行く道すがらそんな事を考えていた。美術館では若林奮展をやっていて、美術館の外では鳶が輪を描いて飛んでいた。人間の欲の世界とはまったくかけ離れた静謐な時間が流れていたが、素晴らしい美術家といえども美術館で見せているのはその人物のごく限られた一面でしかないのだろう。
# by katayama_t | 2015-12-10 23:54 | Life
世代交代の速度と社会が変わる速度
夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法に違反するかどうかについて、最高裁判所大法廷が来週、判決を言い渡すらしい。

夫婦別姓が認められるようになるのは時間の問題だと思うが、NHKが先月行った世論調査では、「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」という答えが50%、「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」が46%で賛否が大きく分かれている。もうとっくに別姓容認派が多数だと思っていたのでちょっと意外だ。

いったいどういう人たちが別姓に反対しているのかと思うが、その内訳を見ていると実に興味深い。20代から50代までは「選べるようにするべきだ」という回答がいずれも6割を超えているが、60代はほぼ同じ割合で、70代以上になると逆に「同じ名字を名乗るべきだ」という回答が70%近くになり、世代によって答えが大きく異なっている。
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「なるほど、育った時代が違うからなあ……」となんとなく思っていたが、たまたま今日の夕方にNHK-FMでやっていたクレイジーキャッツの歌を聴いて、腑に落ちた。

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私だけが あなたの妻
丈夫で長持ち 致します
テナコト言われて ソノ気になって
女房にしたのが 大まちがい
炊事せんたく まるでダメ
食べることだけ 三人前
ひとこと小言を 言ったらば
プイと出たきり ハイ それまでヨ
フザケヤガッテ フザケヤガッテ
フザケヤガッテ コノヤロー
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「ハイそれまでよ:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

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新婚時代は 暴君で
あげ膳すえ膳 ねぇ貴方
わたしとっても まったく 本当に幸せよ
とかなんとか 云われたもんだが
今じゃ 子守に皿洗い

コラ又 どう云う訳だ
世の中 間違っとるよ
誠に 遺憾に存じます
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「遺憾に存じます:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

「丈夫で長持ち致します」って奴隷かよ! と突っ込みたくなるし、今どき子守に皿洗いくらいはやって当たり前だが、今の70代の方々が結婚適齢期の頃には、女性は家に入るのが当たり前で、こういう歌詞が違和感なく社会に受け入れられていたということだろう。そういう方たちが夫婦別姓反対と思うのも無理からぬ事だと思った。世代が変わる速度に応じて社会が変化していけば良いのだが、今は明らかに世代交代の速度よりも社会が変わる速度のほうが早い。もっともいつの時代もそうなのかもしれないが。
# by katayama_t | 2015-12-08 23:22 | Social
調理用薪ストーブの開発
荒牧さんが毎週末に我が家の庭で調理用薪ストーブを開発すべく実験を繰り返している。

世間では薪ストーブが流行っていて、特に都市部では「通販生活」の後押しもあって木質ペレットを燃料とした暖房用ストーブがかなり売れているらしいが、どこかハイソな(もしかして死語?)イメージがあり、貧乏人には縁の無い世界のような雰囲気がある。そもそも燃料を作ったり運んだりするためにエネルギーを使うというのがもうダメ。結局買い物をしつづけるのか……、という徒労感がある。

もっと単純に、生活に必要なエネルギーは輸入品の石油を買って使うなんてことをせずとも、都市部以外では生活圏内に有り余る木質燃料を使えば良いのではないかという発想から、まずは日本の夏でも使える調理に特化したストーブを作ろうとしている。これはハイソなイメージがないし、貧乏くさくもない。地に足の着いた研究と言えよう。

火力調節や排煙など課題は多いが、本当に使えるものができたら我が家でも導入を考えようと思う。
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# by katayama_t | 2015-12-06 22:30
猫とお酒とストーブの火
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たくさんの人を相手に仕事をするととても消耗する。人の感情や意志が自分に向かってくる感じがとてもキツイことがある。まともに受け止めなければ良いのかもしれないが、人を相手にしながらそこに関係性が無いのなら何を話しても会話は成立せずまったく無意味だと思う。とはいえキツイ。
しばらく緊張がほぐれずもう人に会いたくない感じになるが、猫は別だ。猫は自由だ。自由だから重荷にならない。自由に家に出入りして、道路を走って渡り、時々鳥を捕まえて食べる。とても幸せそうだ。道路を渡るのはとても心配で、車に轢かれたらショックで立ち直れそうにないが、それでも、この自由を束縛してはいけないと思う。

人間は猫とお酒とストーブの火があればとても幸福になれる。
# by katayama_t | 2015-12-01 22:51 | Life
火のある暮らしとやきものとの関係
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土曜日に野焼きをした直後に、学園の子どもたちから「またやりたい」の声があがった。またやりたいと言われても、1日がかりで大変な労力がかかるのでそう簡単ではないが、一度やると次はもっとこうしたいという展望が開けてすぐにまたやりたくなる気持ちもよく分かる。

野焼きでなく、もっと簡単にできる方法は無いかと考えてみたら、我が家では毎日風呂釜やストーブで火を燃やしているので、やろうと思えばその中でやきものを作ることができるのではないかと思い当たった。普通の家では薪ストーブや薪の風呂釜は無いかもしれないが、それでも工夫すれば七輪などでも焼けるはずだ。

しかし、ある程度の数を一度に焼こうと思ったら、一番効率の良いのは結局陶芸用の窯を作ることではないだろうか。いつかはやらねばと思っていたが、そろそろ1200度以上温度が上げられるような窯の設計を考えてみるか……。

こうして家の完成がまた遠のいていく。
# by katayama_t | 2015-11-30 21:24 | Life
玄関前のひさし完成
トタンと釘を購入してようやく玄関前のひさしが完成。
最近のトタンはガルバリウム鋼板を使っているので錆びにくくとても長持ちするらしい。金物屋さん曰く今までのカラー釘だとトタンよりも先に釘が腐ってダメになってしまうとのことで、今回は「ドブづけ」の釘を購入。「ドブづけ」というのは溶融亜鉛メッキのことで亜鉛を溶かしたメッキ槽にまるごと浸け込むので錆が出にくい。

トタン貼りももうすっかり慣れて、まったく問題無く作業終了。最近このひさし作りのために薪割りを休んでいたのと、ストーブを使い出したので薪の減りが激しい。今週は薪割りに精を出すことにする。
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# by katayama_t | 2015-11-29 22:20 | Construction
「やきもの」をもっと身近に
今日は朝から先日作った土鈴の野焼き。
雨続きで薪が湿っていて火のコントロールが難しかったが、皆の協力でなんとか火を絶やさずにゆっくりと温度をあげて、最後は竹と杉で一気に昇温。
途中お昼休憩を挟みながら午後2時頃に焼き上がった。

「やきもの」というと陶土と窯がなければできないと思い込んでいるが、まったくそんなことはなく、山肌の地層が露出したところでは粘土が採れるし、それを焚き火で焼けば800〜900度程度の素焼きのやきものができる。やきものは1250度で焼かなければいけないというのも思い込みで、そこで採れる粘土の耐火度に合わせて焼けば良く、そういう意味ではやきものにならない粘土は無いとも言える。粘りがあり、成形できる土であれば基本的にすべてやきものになる。とはいえ、陶土として売られている粘土は粘りがあり、成形しやすいのは確かなので、粘土を買って野焼きをするというのが簡単で良いかもしれない。買った粘土を使うのに抵抗があるならば、100%買った粘土ではなく、その土地の土や砂を混ぜてやると味が出て良い。
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一日火と向き合い、美味しいお昼もごちそうになってとても良い一日でした。
# by katayama_t | 2015-11-28 22:41 | Art
大切な時間
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会期中2回目の『塚本誠二郎 展』に行った。初日のオープニングパーティでいろいろとお話をさせてもらって、「今度お宅ににおじゃまさせてもらって良いですか?」と聞いて快諾されたのだが、連絡先を聞かなかったので、今日はあらためて連絡先を聞きに行った。

塚本さんとはその昔巷房で出会ってからずっとファンでありつづけているが、今までに3回くらいしか会ったことが無い。巷房で個展を2年に1回やられているので、3回会ったということは出会ってから少なくとも6年は経っている(いやたぶん10年くらい経っているが)ことになるが、逆に言えばそれだけの年月でたった3回しか会えていないということだ。感性の似ている人と出会うのは奇跡的なことなので、そういう関係はできるだけ大切にしたいと思うが、会う機会が自然に訪れないのならこちらから出向くしかない。というわけで春になったらお酒を持って遊びに行こうと思う。

とは言っても、それほど打ち解けた仲でもないので、実際に会っても緊張して何を話せば良いのか分からないが、お酒があれば大丈夫。今日も巷房で出された美味しいカルバドスのおかげでいろいろと楽しい話ができた(私は塚本さん同様生きるためにお酒が必要な人間なのだ)。

彫刻の話、陶芸の話などをしながら、過去の思いが蘇ってきて、私が「最初に陶芸に興味を持ったのは18歳か19歳の頃に渋谷の松濤美術館で…」と言いかけたら、塚本さんが「辻晋堂!」と口を挟んだ。
「!!!!!」
あの展覧会を観たという人に人生で初めて出会い、感激のあまり絶句したが、それからは、あれはとても良い展覧会だったという話で盛り上がり、そのままその場にいた人たちで近くの台湾料理の店へ繰り出した。とりとめもなく様々な方面に飛ぶ話の輪に入りながら、この瞬間もいつか遠い過去になるのだなという思いを心に刻んだ。なんだかもう好きな人としか会いたくないし、好きな人と会う時間をよりいっそう大切にしたいと思う。
# by katayama_t | 2015-11-27 23:59 | Life


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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