Katayama Takatoshi Weblog
ささやかな抵抗
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畑で在来種の黄色いトウモロコシと黒いトウモロコシを作っている。肥料不足で貧弱だけれど、とっても美味しいので毎年作る。黄色いトウモロコシと黒いトウモロコシは勝手に交配して黄と黒が混ざったトウモロコシができる。遠い昔、デッサンのモチーフに使われる乾燥トウモロコシにこういうふうに色が混ざったものを見かけた。その頃は「綺麗な謎の物体」でしかなかったものが、今自分の手元でその出自を明かしているのを目にすると、自分と世界との繋がりがまた一つ増えたような気持ちになる。

池澤夏樹の「静かな大地」という蝦夷地を舞台にした小説に政財界を動かすほどの実力のある商人が登場する。心ある和人とアイヌが共同経営する広大な牧場を乗っ取る算段で和人の代表者に近づいてくるのだが、牧場のことなど何も知らず馬と牛の区別もつかないようなその男は、牧場の広さや馬の数など数のことしか言わない。常に天井のある場所で仕事をして、私利以外は念頭にない。

一方そこで働いているアイヌは数のことなど考えたこともない。和人が来る前は山には鹿や熊、川には鮭がふんだんにいた。暮らしに困るようなことは無かった。今は和人に乱獲され動物がめっきり減ってしまったが、どうすることもできず、和人のやりかたに合わせて牧場で馬を育て、それを売りながら丁寧に暮らしている。立派な良い馬を育てることで有名だが、金儲けには関心が無く皆で安心して暮らせる場所がほしいだけである。しかし、最後にはその努力も空しく、牧場は和人の手に渡り、アイヌの暮らしは過酷を極めていく。

これは、言うまでもなく世界中で起きていることである。アメリカインディアンしかり、アボリジニしかりである。

物語の中で“熊の神”がこんなことを語っていた。
「今、和人は奢っているが、それが世の末まで続くわけではない。大地を刻んで利を漁る所業がこのまま栄え続けるわけではない。与えられる以上を貪ってはいけないのだ。いつか、ずっと遠い先にだが、和人がアイヌの知恵を求める時が来るだろう。神と人と大地の調和の意味を覚る日が来るだろう。それまでの間、アイヌは己の知恵を保たねばならない。- 中略 - 時の流れのはるか先の方に、アイヌと知恵ある和人が手を取り合って踊る姿がわしには見える。天から降ったものを争うことなく分ける様が見える。」

武力の弱い民族の文化を滅ぼし、存続を危うくしていくこと。つまり多様性を排除することは結局自分たちの首を絞めていくことに繋がっていくのではないか。

家の畑に来年も在来種の種を植えようと思う。
# by katayama_t | 2014-09-07 12:24 | Life
木を切る人
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家の裏山にはおよそ100本の杉の木が生えている。これを少しずつ切っていって広葉樹林にしたいと考えているが、1年で5本ずつ切り倒してストーブや風呂釜の燃料にするとしても20年かかる計算。100本の杉の木を目の前にすると途方に暮れてしまうが、休みの日に少しずつでも継続していけば、いつかは終わるはず。

今日は5本の丸太を運び出した。山の急斜面を運んでくるとこのくらいでもう体力の限界。でも少しずつ少しずつ継続していくことが大切。
# by katayama_t | 2014-08-05 22:07 | Life
谷中墓地とダンス
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午前中に薪割りをして、午後から久しぶりに谷中墓地を散歩。墓地は基本的にあまり好きではないが、谷中墓地はちょっとした公園のようで空気が明るくてとても良い。

その後「日暮里d-倉庫」で南弓子さんのダンスを観る。
生身の身体がそこにあって、ある意志を持って動いているというのは、それ自体でとても刺激的。様々なイメージが交錯して、最後まで目が離せないダンスだった。自分の存在を掛けて表現というものに真摯に取り組んでいる姿には心を動かされた。
# by katayama_t | 2014-08-03 22:02 | Life
梅仕事
今日は梅仕事の日。
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長い間手入れされていなかった梅の木の枝を落として梅を収穫した。来年の春には様子を見ながら枯らさない程度に幹を切り落とし、もう少し背丈を低くして、梅が取りやすいように樹の形を整えようと思う。
梅干しと梅ジュース、梅酒を作る予定。

午後には散歩がてら、裏山でログハウスを作ってる工藤さんのところへ。
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工藤さんは都内で会社員として働きながら、休日だけ通ってたった一人でログハウスを作っている。その場に生えていた杉を切り倒して根を掘りおこし、チェーンソー1本で製材してここまで作ってしまった。作り始めてから約6年。たった一人でここまでやるのは気の遠くなるような作業。ものすごいパワーである。これを見ると私などは棟上げまで大工さんにやってもらったし、クレーンやらショベルカーなどの重機も使ったので「自分で家を作ってます」なんて恥ずかしくて言えないな、といつも思う。

その後、山に入り、杉の倒木を切ってきて薪作り。山の急斜面で材木を担いで昇ったり降りたりするのは重労働だが、こういう仕事はまったく苦にならない。山に入って目一杯働くと身体がとても気持ちいいし、作った薪で焚いた風呂がまた格別である。

身体を動かすという点では運動も同じだが、私は日本の学校で行われている「スポーツ」というものが嫌いだ。たかが玉遊びなのに、大人に大きな声で怒鳴られたりする意味がまったくわからない。子どもの頃は「競争」という概念が理解できずに、運動会でニコニコと笑いながら走っていてよく叱られた。まったく楽しくないし、思い出すと今でも腹が立つ。しかし、学校ではどういうわけかスポーツが奨励されていて、中学生にもなると土日の日中はほとんど部活動に費やされる。まったくくだらない。

そんなことをやるよりも、子どもたちは山仕事や畑仕事などをもっとやったほうが良いと私は思う。

最近、里山保全やら日本文化の継承やらと、失われつつある日本文化を見直す動きがある。それはそれで結構なことだと思うが、本気で取り組もうと思ったら子どもたちにスポーツなんてやらせている場合ではないのではないか。子どもたちは大きな労働力になるし、子どもたちにとっても自然の中で、自然と格闘しながら汗を流す経験はかけがえのない宝物になると思う。何より、薪割りや焚き火、土の上で虫や雑草にまみれながら植物を育てることはとても楽しい。スポーツなんてやらせている暇があったら子どもたちにそういう楽しさを伝えていかなければいけないと思う。

20世紀は人と人とのコミュニケーションに焦点をあてた時代だったが、これからは人と自然のコミュニケーションが大切になっていく時代だ。そうならなければ未来はない。
# by katayama_t | 2014-05-25 21:04 | Life
八十八夜は過ぎたけれど
昔はこの時期に一家総出で汗だくになりながら1年分のお茶を作ったらしい。今はもう作らないからと言って隣のおばあさんからお茶の葉を頂いたので、人生初のお茶作り。

作り方がよく分からないが、蒸してもんで乾かせば良いのだろうと思い、フライパンで熱してから、蓋をして蒸して、もんで、熱して乾かし、またもむことを3回ほど繰り返して完全に乾かす。もんでいた手からお茶の良い香りが立つ。おもわず両手を鼻に当てて何度も何度も深呼吸。

出来たてのお茶はとても美味しい。今まで飲んだことの無い種類の何とも言えない美味しさ。昔はどこの家でも当たり前にやっていたのだろうが、もう今は廃れてしまったこういう素晴らしいものは他にもたくさんあるのだろう。少しずつ引き継いでいきたいと思う。
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# by katayama_t | 2014-05-14 23:40 | Life
一番乗り!
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大学のゴミ捨て場に捨てられていた木の机を拾ってきた。シミや傷がたくさんあり、誰も見向きもしない汚い机だが、サンドペーパーをかけてあげただけで見違えるような立派な机になった。

無垢の木材を使用した机は、修理が利くので寿命が長い。汚れたら表面を削れば真新しい木目が出てくるし、ほぞが緩んできたら新たにくさびを入れるか、足の付け根に補強を入れれば良い。

こういう立派なものをゴミに出してなんとも思わない人は、心のどこかが軽く壊れている。
# by katayama_t | 2014-05-12 17:59 | Life
ゴールデンウィークという名の何か
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まったく休みがない連休が終わった。

昨日は「いちはらアートミックス」で指輪ホテルの公演を観た。鉄道車両や外の風景を存分に活かした演劇は、特に新しくはないが素晴らしかった。「新しい」必要なんて無いのだ、芸術というものは常にその場その時間に1回限り生まれていくものなのだと改めて思わせられた。技術や手法が新しいなんていうものはありふれているし、すぐに陳腐化する。問題は考え方であり中身なのだ。そういう意味であの演劇は素晴らしかった。ラストシーンの美しさには思わず涙が出そうになった。おおげさに言えば生きることの意味を味わうことができた。

そして今日は朝8時に子どもたちを連れて家を出て、10時に千葉市美術館で作品セッティングをして午後から車で上野の国立博物館へ「キトラ古墳展」を観に行ったが、観覧までに80分かかると言われ、あっさりあきらめ、バルテュスをちら見してから上野動物園へ。パンダや象や猿、キリンなどを見て、帰りはアクアラインを飛ばして家に着いたのが4時半。コーヒーを飲んでから混合ガソリンを買ってきて薄暗くなるまで草刈り。

それにしても、キトラ古墳展がものすごく混んでいたが、皆あんなもののどこが面白いのだろう? 人に見せることを前提としない絵や彫刻というものは、私にとっては重要なテーマだからぜひ見たいと思うが、並んでいたあのたくさんの人たちはいったい何を思って見に行くのだろう?

似たようなことを正倉院展の時にも感じる。金や銀や宝石などをあしらっていない木や紙や布でできたあんな古めかしいものをありがたがる国民性っていったい何だろう? わびさびの世界に通じるのはもちろんだが、それだけではなくて、日本という国は結局根無し草的なところがあるのか、自分たちのアイデンティティを常に探し求めているような気もする。古墳や正倉院を見ると、今の韓国や中国の影響は甚大である。そこを知るだけでもこの訳の分からない古いモノ好きの国民性は価値があるのかもしれない。
# by katayama_t | 2014-05-06 20:39 | Art
カーオーディオ取り付け
先日ETCに引き続いて、カーオーディオを取り付けた。
ヤフオクで2500円(送料込み)という激安。iPhoneを接続するためのAUX端子がついているのがポイント。もともとついていたカセットデッキを取り外して、ネットで探した配線図を見ながら間違えないように配線。

しかし、すべて配線が終わっていざ車のキーを回してもうんともすんとも言わない……。一瞬「これはつかまされたかな?」と思ったが、ラジオのアンテナ配線を差し込んだとたんに動き出した。「!!」なるほどアンテナのアースが、アンプのアースも兼ねているということか。
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電気というのは入力だけでは流れない。必ずアースが必要になるが、これが案外見落としがちである。アース(-極)を繋いだ瞬間に電気が流れて、音が出るのはちょっと感動的。

マーチは1000ccにしてはよく走る。燃費もリッター約17キロと、パンダと同じくらい良い。荷物が思ったより積めないのが難だが、致命的な故障が起こらなければ長く付き合うことになりそう。
# by katayama_t | 2014-04-17 23:37 | Life
お金を使わないで生きる
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先日購入したマーチにETCを取り付けた。10年以上も前に500円でセットアップ済みのものを買って、当時乗っていたフィアットパンダに自分で取り付けたものを、1年前に購入したスズキKeiに載せ替えて、さらに今回日産マーチに移植した。

私はたいていの事は自分でやるが、別に何でも自分でやりたいというわけではないので、試しにイエローハットにETC脱着及びセットアップ料金を見積もってもらったところ、合計で16275円という回答。まったく話にならない……。セットアップだけなら2625円で済むというので、ここはもう迷わず脱着は自分でやることにした。

まず、Keiに両面テープで取り付けてあるETC車載器をベリベリと剥がし、電源やアースコードは適当なところをニッパで切断。車の内装をバキッと剥がしてアンテナコードを外す。この間わずか5分! 外すのはいたって簡単である。

次にイエローハットに持ち込んでセットアップを依頼。待つこと10分。セットアップされたETCを受け取り、家に帰ってマーチに取り付け。まず、ヒューズBOXから電源を取り、車体にアース。内装をバキッ(少し割れたw)と剥がしてアンテナを引き回し、アンテナおよび本体を両面テープで適当なところに接着して完了。時間を計ってなかったが20分ほどだったと思う。
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これで差し引き13650円分の仕事をしたことになる。

私は基本的にお金が無い。私の給料だけで5人家族が暮らしていけるのはすごいと思う。以前、もっと稼がないとまずいと思って、クロネコヤマトの配送センターに土日や夜にバイトさせてくれと言ったことがあったが、国立大学の教員であるという理由で断られてしまった。国家公務員というだけでアルバイトをさせてもらえないなんて納得がいかないが、世の中は納得のいかないことだらけなんだからしかたがない。

そこで、ではどうやったら暮らしていけるかと考えて、お金を使わない生活をすることにした。使わないといっても、例えばスーパーで1円でも安い特売品を物色するとか、食品トレイを皿代わりに利用して使い捨てるとか、そういう貧乏くさいのはごめんである。

そうではなくて、畑で野菜を作ったり、山から薪を調達して燃料にしたり、本棚や食器棚は自分で作ったりと、自分でできることはできるだけ自分でやることで、結果的にお金をかけないで生活をすることができる。これは全然貧乏くさくない。

「貧乏」と「貧乏くさい」はまったく違う。貧乏は単にお金が無いことなので恥ずかしくは無いが、貧乏くさいのは美意識の問題である。生き方の問題である。恥ずかしい生き方はしたくない。
# by katayama_t | 2014-04-09 21:41 | Life
古道具屋で将棋盤を買う
我が家の末っ子の小学校4年生が、最近将棋に凝っていて熱心に対戦を申し込んでくるので、その都度、彼がお小遣いで買った小さなオモチャの将棋盤で相手をしてあげているのだが、将棋盤が小さすぎて使いづらいので、今朝、仕事に行く途中、古道具屋に寄って将棋盤を探した。

朝7時頃に店がすでに開いていたので、「おはようございまーす!」と声をかけると、中からいかにも貧乏そうなボロを纏ったおやじが出てきて、応対してくれた。

置いてある将棋盤は全部で5台ほど。中でも一番汚い安そうなものに目星を付けた。よく見ると、横に「6000」というシールが貼ってある。『高いな…』と思いつつ、素知らぬ顔をして「これいくらですか?」と聞くと、おやじは「1万円」と答えた(笑)。

心の中で面白いおやじだと思いつつ、さも今見つけたかのように「…あれ? でもここに6000円って貼ってありますよ」と言うと、おやじ、少したじろぎ「じゃ、じゃあ5000円でいいよ」と言う(笑)。

すかさず「うちの子どもの為に買おうと思ったけど、高くて買えないなぁ…」と残念そうに言うと、「いくらなら買うの?」と言ってきた。
こうなるともう完全にこちらのペースである。

1500円と言おうと思ったが、さすがにそれは安すぎるので、少し考えて2000円と言った。そうしたらおやじ「じゃあ3000円で将棋の駒もつける」と言う(笑)。面白い。敵もさる者である。将棋の駒が別売りなんてバカなことがあるかと言って、3000円でいいからここにある徳利もつけろという話に落として、ちょうど欲しいと思っていた2合徳利を付けて買ってきた。

もっと値切れるだろうが、いかにも貧乏そうな様子をしていたので、この辺で引き下がった。

こういうふうに値切るのは、日本(関東?)ではほとんど無いが、トルコやモロッコに行くと、絨毯屋が高値をふっかけて来るので、必ず値切らなければならない。彼らは観光客との値段交渉を楽しんでいるフシもある。交渉を始めると1時間くらいは平気で粘る。こちらが引かず、どうにも交渉がまとまらなくなると「おれの家には5人の子どもがいるんだ、そんなに安く売っていたら生活が大変なんだぞ!」みたいなことを言ってくる(笑)。『そんなこと知るか(笑)』である。

余裕があればそういうやりとりはなかなか楽しい。
今の日本では、どこに行ってもマニュアル通りの受け答えばかりで、とても退屈。
気が向けば、たまには古道具屋のおやじをいじりに行くのも良いかもしれない。次は容赦しないで値切り倒そうと思う。
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# by katayama_t | 2014-01-05 21:56 | Life


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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