![]() 先日めまい発作で倒れたことを、ありがたいことに職場の皆が心配してくれていろいろとサポートしてくれた。自分がやらねばならない仕事もあっという間にやってくれていて、なんというか、感謝しか無い。人の好意を感じられるとずいぶんと気持ちが楽になる。次に誰かが困っていたら自分に出来ることは何でもしようと思う。でも相手が誰でもサポートしたいと思うかというとそうでもない。やはりサポートしたいと思う人と、あまり関わりたくないと思う人はいる。 その違いは何かというと、一言で言えば権威主義的かそうでないかということだと思う。やたらと偉そうで、役職や年齢の下の人に命令したり、人が自分のために何かをして当然だと思っている人は時々いる。実際に年齢や役職が上ということではなくても、自分を過大評価して勘違いしている人や、自分の得になることしか考えていなくて、権威に擦り寄るような人もいる。そういう人が困っていても手を差し伸べる気が起きない。 その逆にどんなに社会的立場が上の人であっても、それをまったく感じさせない人もいる。大人になる前にそういう立派な大人に出会えたことで、自分の人生は大きく変わったような気もする。 自分の中の“そういう立派な大人”の筆頭は大学時代に出会った三木成夫先生だ。私が難儀な病気を患って、思うように制作ができず悩んでいた時に相談に行ったら、子どものような純真さ(子どもが純真かどうかは置くとして)で気持ちにより添い真っ直ぐに話を聞いてくれて一緒に涙を流してくれた。 三木先生は自分よりもずいぶん年上だが、年齢の違いなどというものをまったく感じることは無く、人と人として接してくれた。こういう人に出会えたことで自分を認めることができてずいぶんと生きやすくなった気がする。 人の本質は年齢や性別、国籍、肌の色などで左右されない。「年上を敬う」ということは美徳のように言われるが、敬うのは年上だけではなく、年下であっても一人の人間として尊重すべきなのだ。もちろん性別や人種なども同じ。ましてや社会的立場などまったく関係ない。 人への接し方を年齢や性別、国籍、肌の色などで変えないとしたら、どういう基準で人とのつきあいをすれば良いのか。その人物が権威主義的でないか、あるいは尊敬できるかどうかで判断する? それも息苦しい。人間はそんなに単純ではないと思う。 身も蓋もないが、結局は人との関係は合うか合わないか、好きか嫌いかだけなのではないかと思う。自分は権威主義的な人とはどうしても馬が合わない。子どもの頃からそうだったからこれはもう変わりようがない。しかし、何にでも慣れてしまうのもまた人間だ。自分が権威を持つとそれに慣れてしまうということも起こりうる。ある程度年齢が上がり、社会的にも認められてくると、自分は立派な人間だと勘違いしてしまうということは充分考えられる。そういう罠に陥らないように気をつけなければいけないと思う。 最近よく話題になる「MeToo」や「WeToo」の運動で、ハラスメントを受けた多くの人が声を上げ始めている。そして権威を持った多くの著名人が過去の過ちを謝罪することになった。この人たちも人々にちやほやされていい気になってしまっていたのだろう。自分の地位や持っている力が人に与える影響を正しく認識できずに自分が人よりも上になったような気がしてしまったのかもしれない。いずれにせよ地位や名誉などには極力近づかないのが吉だ。 #
by katayama_t
| 2018-03-22 23:00
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![]() 3月14日の夜、何を思ったのか酔った勢いで突然amazonのレビューを立て続けに5本書いた。 これだ ↓ そしてその翌朝、突然激しい回転性の目眩に襲われて倒れ、人生で2度目の救急搬送(1度目は中学生の頃、歩道に車が突っ込んできてはねられた。スローモーションで宙を舞ったのを覚えている)。胃液をすべて吐いて、吐けるものが無くなってもまだ吐いた。目を開けるとグルグルと世界が回っていて吐き気がするので目を固く閉じたまま点滴を2本打たれ、脳のCTを取り、8時間ほど経ってまだ目を開けられないもののようやく車椅子での移動ができるようになり、夕方家に戻って自宅療養。次の日には壁につかまりながらも自分一人で動けるようになり、昨日から普通の生活に戻ってお酒を飲んだ。脳には異常が見つからなかったので、今日は耳鼻科に行き、内耳と聴覚の検査。結局原因は特定できず……(むしろ人よりも耳がいいらしいことが分かった笑)。目眩の原因というのは様々考えられ、原因が分からないことも多いらしい。ともあれ大事に至らなくて良かった。 amazonのレビューを立て続けに書いたことと、目眩で倒れたことは関係ないといえば関係ないのだが、自分の中では繋がっている。なんというか、やらなければいけないことや、やりたいことが多すぎて、休日もずっと働いていたものの、全然時間が足りず、とても焦っていた。そして、倒れる前の晩に自分の中でギヤをチェンジをした感じがあった。自分の中の回転を速めれば、周りの景色など気にせずに突っ走ることができる。忙しいときほど、さらにたくさんの仕事をしているということを、後でメールのやりとりなどを見て思うことがあるが、そういう状態に自分をシフトした。 ところが倒れてしまった。無理のしすぎだ。こうして立ち止まれるように体が正しく反応してくれたということか。そろそろ何か違う方法で自分を回さなければいけない時期に来ているのかもしれない。この3日ほど何もせず良い休養になったし、リセットして真っ新な目で新しく世界を見てみるというのも大切。 #
by katayama_t
| 2018-03-19 20:54
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材料はまだたくさんあるけど、そろそろ飽きてきたので、今回はこの辺でおしまい。数年前にたくさん作ったスプーンを家で使っていたが、頻繁に使うものと、まったく使わないものがはっきりと分かれて、何がポイントなのかということが少し分かってきた。今回は前回よりも確実に進歩しているのが自分でも分かる。
凹面は丸鑿で彫ったそのままにして、凸面はやすりをかけてステンレススプーンの裏で磨いて艶出し。最後に荏胡麻油を塗って仕上げ。 ![]() ![]() #
by katayama_t
| 2018-02-24 18:19
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![]() アマチュアとプロの違いについて考える機会があったのでメモ プロフェッショナルという言葉には2つの意味がある。 単純にその仕事で得た対価で生活ができているかどうかを言う場合と、その仕事に対する姿勢の厳しさを指す場合の2つだ。もちろんその2つが両立している場合も多いとは思うが、両立しない場合も相当数あると思う。もし生活の糧を得られていないというだけで、プロではないとするならば、芸術家の多くはプロではないことになってしまう。皆が知っているあのゴッホだって生涯を通じて数枚しか絵が売れなかった。 プロフェッショナルという言葉の対義語としてアマチュアという言葉がある。この言葉にも2つの意味があり、1つは「素人」、つまり未熟でその仕事に必要な技術をマスターしていない者を指す。そしてもう1つは「愛好家」という意味だ。愛好家というとつまり素人のことだと考える人もいるかと思うが、この2つはまったく違う。 アマチュア(amateur)という言葉は、イタリア語のアマトーレ(amatore)を語源としていて、これは愛するという意味のamareから派生した言葉だという。つまり、アマチュアという言葉は本来何らかの対価を得ることを目的とせずに、好きだからやる、愛に導かれてやるという意味だ。それに対してプロフェッショナルというのは、仕事に対する姿勢や、得られる金額のことを指していて、その仕事が好きか嫌いかは関係ない。 プロフェッショナルという言葉も、アマチュアという言葉もこれらの意味を区別しないで使っているからややこしくなるのではないかと思う。この2つの言葉を対義語としてとらえるのも間違っているのではないか。だから最初に書いた「アマチュアとプロの違い」という問いも、その問いの立て方自体が間違っている。 本来的に商業と深く結びついているデザイナーという職業ならともかく、芸術家なんてものは、その仕事が好きだという動機に導かれてやるものであって、それで生活ができるかどうかは本来副次的なものであるはずだ。 あくまでも副次的な結果としてたくさん収入があるかもしれないし、まったく収入が無いかもしれないが、それは作品の価値とは関係が無いのだ。 芸術という概念は19世紀以降にできた。それまで絵画や彫刻は誰かの依頼によって作られていた。だから画家や彫刻家というのは「職業」だった。 だが今は違う。先日知り合った染織家が、若い頃に有名な染色作家に弟子入りを申し込んだところ、「まずは他に仕事を確保しろ、この仕事では食えないから」と言われたそうだ。芸術家というのは本来そういうものなのだ。
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by katayama_t
| 2018-02-19 21:49
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昨年まで毎日畑仕事をしていた隣に住んでいる少々呆けてきた90歳のおばあさんが、「毎日外に出て仕事をしていないと生きている気がしない」と言っていた。 材木屋の江沢さんは、土日だろうが祝日だろうがいつ行っても仕事をしているので「一年中休みなしなんですか?」と聞くと、「俺は馬鹿だからよう、仕事してないと何もなくなっちゃうんだよ」と言っていた。 今までは、「凄いな……、自分にはできないな。」と思っていたが、自分も気がつけば毎日身体を動かして仕事をしていないと生きている気がしないし、身体を動かしているだけでは物足りなくて、何かを作っていなければ生きていけない。いつの間にかそうなっていた。休日は休みの日では無くて生きるために仕事をする日になっている。 いつからだろうと思い返してみても分からないが、はっきりと自分に対して驚きをもって自覚したのはこの時だったかなと思い出す出来事がある。 昨年の8月にミラノの素敵なトラットリアで小野寺さんとその妹と三人で飲んでいたときに「明日ベネチアに行くので一緒に行きましょう!」と誘われたがちょと迷ってから断った。一緒にいてとてもとても楽しかったし、たぶん一緒に行けば楽しく過ごすことができたと思う。でも、早く制作をしたいという思いのほうが勝った。レジデンスプログラムで滞在しているギッファに戻ってとにかく何か作らなければ自分が自分で無くなるような気がした。今まではこんなことはなかったように思う。好きな人の誘いを断るなんてことはあり得ないし、結果はどうあれ流れに身を任せていた。自分の未来の可能性を狭めるようなことをすることはまずなかった。 この時にはっきりと自分は変わったのだと自覚した。自分でも少し驚いたが、たぶんこの時にいきなり変わったわけではなく、今までは見て見ぬふりをして無理をして人付き合いをしてきたのかもしれないとも思った。 日常的に何かを作っていないと、どんなことであれ本当に楽しむということはもうできない。ひょっとしたら昔からそうだったのかもしれない。ようやく自覚しただけなのかもしれない。 ネットに接続すればいろんな情報が飛び込んでくる。でも今はそのほとんどがどうでも良いように感じる。それでも沖縄問題や原発問題、人の尊厳の問題など、無視できない問題はあるが、アートとかデザインとか、クラフトとか、暮らし? とかもうどうでも良いのではないか。そんなことを言っている余裕のある人は盲目だ。問題はそんなところにはない。もっと切実で自分ではどうにもならないところに本当に向き合うべき事はある。そこに向き合うことが生きているということなのだと思う。 写真は先日もらった山桜を彫ったもの。お玉は時間がかかったけどスプーンは楽勝。すぐにできる。 ![]() #
by katayama_t
| 2018-02-12 18:04
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![]() この数年間、自分は精神的にずいぶん乱高下していたような気がする。この数年で何があったのか冷静に思い返すと、2013年に妻の母親が同居後1週間で亡くなり、2016年に私の父親が亡くなり、2017年には同居していた妻の父親が亡くなった。私の母はずいぶん前から認知症がひどく短期記憶をまったく保てない。世の中にはひどく虐待されて育った人もいるから人にもよると思うが、親というのは何があっても無条件で自分の味方をしてくれる唯一の存在なのではないかと思う。そういう人がこの世から居なくなるということは、やはり大きな損失だったのだと思う。 何もしてくれなかったと思っていたが、親の期待や呪縛がなかっただけでもずいぶんと恵まれていたのではないかと今は思う。いま自分の存在を肯定できているのは親に捨てられるという心配をせずに育ってこられたからではないか。そして、それが親が子どもにできるほとんど唯一のことなのではないかと思う。自分を肯定することができれば生きていくのはそう難しくない。 #
by katayama_t
| 2018-02-07 21:20
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とても面白い話で、「立春に卵が立つ」という新聞紙面を賑わした与太話を、あっさりと「卵というものは立つものなのである。」と言い放ち、その根拠を科学的に解明してみせる。そして、最後に「私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。」と締めくくる。 思い込みというのは恐ろしいものである。 思い込みのせいで、可能性を狭めていることはたくさんあるだろう。思い込みを外して多角的にものを見ることはすべてにおいてとても大事だ。 #
by katayama_t
| 2018-02-04 21:14
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2016年10月3日の記事を非公開から公開設定にした。2016年9月に父が死んでから気がつけば1年以上もブログの更新をしていなかった。正確には死んだ直後に非公開設定で、自分の私的メモとして少し文章を書いたのだが、それきり何も書けなくなった。……というよりは、文章を書くことに興味がなくなった。確かなことなど何も無いし、言いたいことも特に無い。自分は今までどうしてこんなに文章を書いていたんだろうと不思議に思う。今は人に読んで欲しいともあまり思わないし、今までの記事をすべて削除するか非公開設定にしようかとも思ったが、過ぎ去ったことにこだわるのも馬鹿らしいのでそのままにする。なんとなくいろんなことが一区切りついたような気がする。これからは私的なメモとして何か書くかもしれないし、書かないかもしれない。 ![]() #
by katayama_t
| 2018-02-03 22:41
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マリオさんのトークは、短時間だったこともあり、聞きたいことを聞くことがなかなかできなかったが、それでも収穫はあった。絵を描き始めたきっかけとして、重い精神的なストレスを抱えていた頃に、自分をケアするために描き始めたと言っていて、今まで聞いていたことではあったけれど、改めて自分を振り返りながら聞くと、やはり何かを生み出すということは、自分をケアすることになるのだと改めて思った。何か精神的なダメージがある時には何か作っていないと生きていけない。 それはともかく、自分が聞きたかったことは、絵の解釈の話ではなく、もっと具体的な絵の成り立ちだ。今度会った時には、画材は何を使っていて、それはなぜか、どのような描き方をしているのか、どの程度の構想があって描き始めるのか、どのくらいの時間をかけるのか、描くときには何を考えているのか、などといった具体的な絵の成り立ちの話が聞きたい。コンセプトというのは後から作者が自作を解釈したものであるため必ず作り事があるが、絵の具体的な成り立ちの中には作者が考えたり感じたり、実際に試したりしたことのみがあり、解釈の入り込む余地が無く、そのほうが作品の真実に近いのではないかと思う。 帰りの電車で田内志文さんから送られた翻訳書「ギデオン・マック牧師の数奇な生涯」を読了。上手く言えないが、人生のすべてが詰まっているような小説。物語が深すぎて今はこれ以上語るべき言葉がみつからない。どうやったらあんな物語が描けるのだろう。 #
by katayama_t
| 2018-01-28 22:06
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2017年12月に巷房2でカシワイさんとセッションした展覧会「HOSHI NO KIOKU」。写真家の前田立さん http://ryumaeda.com/ が撮影した動画をこちらに上げてくださいました。観に来てくれた方も、見逃してしまった方も、臨場感のある良い動画となっておりますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=IzjjwOK4uCA&feature=youtu.be #
by katayama_t
| 2018-01-26 16:59
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