友人からボイスについて示唆に富むメールをいただいたので、もう少し書いておこうと思う。
メールの内容は、「マルクスについてボイスは半分は正しかったが、もう半分は間違っていたと言ったが、それはボイス自身についても言えるのではないか」とのこと。
マルクスは、「資本」というものを、資本主義的な意味(つまり金銭)でしか捉えていない。それをいくら分析してみたところで、そこから抜け出すことはできない、という意味のことをボイスは言っていたが、ボイス自身も同じように、『西欧の文化が積み上げてきたものを、西欧の文化や思想の延長線上の手法で壊そうと(メール本文から引用)』していたのではないか?
社会を変革するために、既存のシステムに乗っかって「緑の党」という政党を立ち上げるということに対する違和感はおそらく誰もが引っかかるところだろう。
そして社会活動を「芸術」と呼ぶ必要がどこにあるのか? という疑問も。
そうやって『』でくくることで、芸術を志す人たちにはインパクトがあるだろうが、それ以外の多くの人にとっては所詮「芸術家」と呼ばれる人の戯言として、聞き流されてしまうのではないだろうか?
ボイスは多くの矛盾を抱えている。
とはいえ、ボイスがそれ以降の芸術家に与えた影響はとても大きいことは事実である。
ボイスを知ってから、私も含めて多くの人は「自分は芸術を通して何を成すべきか?」と問い続けている。
ボイスの「社会活動=芸術」というテーゼに関してもう一言。
先日ある人に「大学で仕事をしながら社会活動もしているなんてすごいですね。」と言われた。その方は私が彫刻家だと知らないので、社会活動とはNPO活動のことを指す。どんな活動をしているか具体的なことは、人のプライバシーに深く関わるので言えないが、「人と人との関係を創造する仕事」であり、「新しい人間関係を発明する仕事」である。自分がやっていることが社会活動とは思ったことは無かったし、ましてや芸術だとか、作品に結びつけようなどとは微塵も思わないが、それで良いのではないかと思う。
それが芸術か否かなどどうでも良い。「芸術」はそこまで重要ではない。