Katayama Takatoshi Weblog
生活をするということは
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薪ストーブを使い出して今年で13年目。ようやく薪割りのコツがつかめてきた。以前は丸太の年輪に直交するように斧を当てて、丸太が真っ二つになるように力一杯振り下ろしていた。ばかばかしい話だが丸太に真剣勝負を挑んでいたのだ。そんな力任せにせずに年輪に沿って皮をむくように斧を当ていけば楽に割れるのだが、どこかズルをしているようでやろうと思わなかった。それが先日から急にそれをズルだと思わなくなった。

山から丸太を下ろす時にも、今まではまるで修行のように気合いを入れながら重い丸太を一つずつ腕で抱えて山を下りていたが、これもロープと網を使って制御しながら斜面を転がすようにしたらものすごく楽になった。
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今までどうしてそうしなかったのだろうと考えると、今まではたぶん「生活」になりきっていなかったのだと思う。薪割りの達成感や、肉体労働後の心地よい筋肉痛、その後の入浴や飲酒を楽しんでいた。それは悪いことではないが、どこか観光客的で地に足が着いていなかったように思う。

生活をするというのはそういうことではない。生活をするということは、妥協し、負けることだ。そうして日常的に続けていくことだ。それは一見地味でかっこわるい。でも本当は地味なほうがかっこいいのだ。きっと。たぶん。
by katayama_t | 2015-12-20 23:25 | Life | Trackback | Comments(2)
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Commented by しだ at 2015-12-29 14:09 x
はじめまして。以前よりブログ読ませていただいており刺激を受けていました。

薪のお話、実感があります。私はほんの手伝い程度でやった事があるのですが、「スパッ!」と割りたくて、ど真ん中に斧を当て、何度しびれた事か。。確かに「生活」でやる人とは違いますね。おばあちゃんのほうが簡単に割ります。


私、建築をやっているんですが、生活する、使い続ける建築を考えると、シンプルなものに行き着きます。どちらかと言えば「地味」です。それでいいと思ってます。設計者の自己表現的コンセプトや過剰な設計は、むしろ「生活」のじゃまだったりします。

「生活するということは・・・」で書かれた事、、なるほど と思いました。
Commented by katayama_t at 2016-01-02 21:04
しださん、ありがとうございます。
建築やデザインは日常使用するものなので、そこに自己表現を入れるというのは確かに難しいですね。私の場合は彫刻で自己表現をして、自分で使う食器や家具などは何の変哲もないものを作ります。両方があってバランスがとれている気がします。
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記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
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