Katayama Takatoshi Weblog
生きている気がするように

昨年まで毎日畑仕事をしていた隣に住んでいる少々呆けてきた90歳のおばあさんが、「毎日外に出て仕事をしていないと生きている気がしない」と言っていた。

材木屋の江沢さんは、土日だろうが祝日だろうがいつ行っても仕事をしているので「一年中休みなしなんですか?」と聞くと、「俺は馬鹿だからよう、仕事してないと何もなくなっちゃうんだよ」と言っていた。

今までは、「凄いな……、自分にはできないな。」と思っていたが、自分も気がつけば毎日身体を動かして仕事をしていないと生きている気がしないし、身体を動かしているだけでは物足りなくて、何かを作っていなければ生きていけない。いつの間にかそうなっていた。休日は休みの日では無くて生きるために仕事をする日になっている。

いつからだろうと思い返してみても分からないが、はっきりと自分に対して驚きをもって自覚したのはこの時だったかなと思い出す出来事がある。

昨年の8月にミラノの素敵なトラットリアで小野寺さんとその妹と三人で飲んでいたときに「明日ベネチアに行くので一緒に行きましょう!」と誘われたがちょと迷ってから断った。一緒にいてとてもとても楽しかったし、たぶん一緒に行けば楽しく過ごすことができたと思う。でも、早く制作をしたいという思いのほうが勝った。レジデンスプログラムで滞在しているギッファに戻ってとにかく何か作らなければ自分が自分で無くなるような気がした。今まではこんなことはなかったように思う。好きな人の誘いを断るなんてことはあり得ないし、結果はどうあれ流れに身を任せていた。自分の未来の可能性を狭めるようなことをすることはまずなかった。

この時にはっきりと自分は変わったのだと自覚した。自分でも少し驚いたが、たぶんこの時にいきなり変わったわけではなく、今までは見て見ぬふりをして無理をして人付き合いをしてきたのかもしれないとも思った。

日常的に何かを作っていないと、どんなことであれ本当に楽しむということはもうできない。ひょっとしたら昔からそうだったのかもしれない。ようやく自覚しただけなのかもしれない。

ネットに接続すればいろんな情報が飛び込んでくる。でも今はそのほとんどがどうでも良いように感じる。それでも沖縄問題や原発問題、人の尊厳の問題など、無視できない問題はあるが、アートとかデザインとか、クラフトとか、暮らし? とかもうどうでも良いのではないか。そんなことを言っている余裕のある人は盲目だ。問題はそんなところにはない。もっと切実で自分ではどうにもならないところに本当に向き合うべき事はある。そこに向き合うことが生きているということなのだと思う。

写真は先日もらった山桜を彫ったもの。お玉は時間がかかったけどスプーンは楽勝。すぐにできる。



by katayama_t | 2018-02-12 18:04 | Life | Trackback | Comments(0)
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