今日は卵を産まなくなった雌鶏を捌いて、新しい鶏に入れ替える日。
雌鶏が4羽いて卵は毎日2つずつ産むので、産む数としては悪くはないのだが、卵の質が落ちてきて殻がしっかりと形成されていなかったりすることがままある。しかし、それよりもさらに問題なのは鶏たちが自分達が産んだ卵を食べてしまうことだ。毎朝鶏と卵の取り合いになる。
卵をたくさん産むように品種改良されているので、もともと卵を温めることもしない。ゆくゆくはそういうF1品種ではなく、原種の鶏を飼って卵を孵してひよこを育てて、というサイクルで回していきたいが、もう少し生活に余裕ができたらということにしている。
朝鶏舎の扉を開けるとおなかを空かせた鶏たちが外に出ようとするのを、中に押し込めて1羽ずつ捕まえて他の鶏たちから見えないところまで連れて行き絞める。足を上にして吊し、血が充分抜けたところで皮を羽根ごと剥いでいく。あとはモモ肉とムネ肉、レバーや砂肝を取り、肉類はミンチに。レバーや卵になりかけの黄身などは甘辛く煮て食べる。以前は羽根を湯剥きしていたのだが、皮が硬くて食べられないので皮ごと羽根を剥くようになった。
午後に新しい(といっても1年半以上経過したひね鶏だが)鶏を貰ってきて鶏舎に放つ。同じ品種でも貰ってくる度に性格が違うのが不思議。今回の鶏は雌鶏同士激しくけんかしていたので気が強いのかもしれない。いじめられる鶏が出なければいいが、どうなることやら……。
普段肉を食べても、動物を殺していると意識することがなくて、「アメリカで食べたステーキが硬くて味がなくてゴムみたいで笑」なんて話を平気でしているが、こうしてたまに鶏を絞めて捌くと、生き物の命を頂いているのだと実感できる。絞めたばかりの鶏は体温が残っていて熱いくらいでその感触が手に残るし、首を落とした鶏の鶏冠が見る見るうちに白くなっていくのが目に焼き付いている。鶏冠の赤色は血の色なのだ。
自分が何を食べているかということを意識するだけで少し地に足の着いた感じがする。この感じを持続させていきたいと思う。