先日、卵屋さんが家に立ち寄ってにこにこしながら「そろそろまた鶏いらないっすか」というので、前回からもう1年以上経っているし、そろそろ家の鶏も高齢なので今日もらいに行ってきた。しばらく行っていないと暮らしの様子が変わっているもので、知らない間に別棟の新居が完成間近で愛にあふれた家造りをひとしきり自慢された。ううむう……、ちょっとうらやましい。気持ちと時間に余裕があれば私も新居を造りたい。自分で家を造るのは本当に楽しい。コンピュータに向かって仕事なんてしている場合じゃないといつものことながら思う。
さて、新たに鶏をもらってくるということは今いる鶏を肉にしなければいけないということなので、絞めて捌いてミンチにしたのだけど、年に1回しかやらないのでいつまで経っても慣れない。卵屋さんがやると、さっきまで生きていた鶏があっという間に肉になるけど、私がやると毎回四苦八苦してようやく皮を剥いでミンチになる頃には疲れ果ててしまう。
しかし、よく考えたら生き物を殺すのにそんなに簡単に労せず作業して良いものか疑問ではある。もたもたして遅いのはダメだと思うけど、慣れてきて感情の動く間もないような「作業」ではやっぱり生き物への敬意を欠くのではないか。生き物を殺すことで自分が生きながらえているという自覚を忘れてはいけないように思う。
また、鶏は自分で殺して食べているけど、豚や牛を殺して食べることを想像するとちょっと無理だなと思う。自分で殺してまで食べようとは思わない。だからといって食べないわけではないけど、食べる時には人に殺してもらったものを食べているのだということを忘れないようにしたい。