Katayama Takatoshi Weblog
カテゴリ:Social( 125 )
世代交代の速度と社会が変わる速度
夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法に違反するかどうかについて、最高裁判所大法廷が来週、判決を言い渡すらしい。

夫婦別姓が認められるようになるのは時間の問題だと思うが、NHKが先月行った世論調査では、「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」という答えが50%、「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」が46%で賛否が大きく分かれている。もうとっくに別姓容認派が多数だと思っていたのでちょっと意外だ。

いったいどういう人たちが別姓に反対しているのかと思うが、その内訳を見ていると実に興味深い。20代から50代までは「選べるようにするべきだ」という回答がいずれも6割を超えているが、60代はほぼ同じ割合で、70代以上になると逆に「同じ名字を名乗るべきだ」という回答が70%近くになり、世代によって答えが大きく異なっている。
d0094333_1073384.png
「なるほど、育った時代が違うからなあ……」となんとなく思っていたが、たまたま今日の夕方にNHK-FMでやっていたクレイジーキャッツの歌を聴いて、腑に落ちた。

----------
私だけが あなたの妻
丈夫で長持ち 致します
テナコト言われて ソノ気になって
女房にしたのが 大まちがい
炊事せんたく まるでダメ
食べることだけ 三人前
ひとこと小言を 言ったらば
プイと出たきり ハイ それまでヨ
フザケヤガッテ フザケヤガッテ
フザケヤガッテ コノヤロー
----------
「ハイそれまでよ:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

----------
新婚時代は 暴君で
あげ膳すえ膳 ねぇ貴方
わたしとっても まったく 本当に幸せよ
とかなんとか 云われたもんだが
今じゃ 子守に皿洗い

コラ又 どう云う訳だ
世の中 間違っとるよ
誠に 遺憾に存じます
----------
「遺憾に存じます:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

「丈夫で長持ち致します」って奴隷かよ! と突っ込みたくなるし、今どき子守に皿洗いくらいはやって当たり前だが、今の70代の方々が結婚適齢期の頃には、女性は家に入るのが当たり前で、こういう歌詞が違和感なく社会に受け入れられていたということだろう。そういう方たちが夫婦別姓反対と思うのも無理からぬ事だと思った。世代が変わる速度に応じて社会が変化していけば良いのだが、今は明らかに世代交代の速度よりも社会が変わる速度のほうが早い。もっともいつの時代もそうなのかもしれないが。
by katayama_t | 2015-12-08 23:22 | Social | Trackback | Comments(0)
山神様はどこへ
d0094333_18174027.png
すぐ近くの山にゴルフ場開発計画があった。開発業者がバブルの頃に土地を取得し、一部工事を開始したものの、どうしても土地を手放さない住民がいて頓挫したままバブルがはじけてそのまま計画が凍結されたらしい。ゴルフ場ができれば雇用が生まれる、また、ゴルフ場開発で土砂が流れるので近隣の河川をコンクリートで護岸工事してくれるという約束をとりつけ当時ほとんどの住民は賛成したらしい。土地を手放さなかった方は大変なプレッシャーを感じていただろう。

最近ゴルフ場に使用される農薬は安全で量も少ないとか、野生動物の宝庫だとか、貯水能力は意外と高いなどと言うゴルフ場擁護論がある。そういう話はまったく信じていないが、仮にそれらがすべて真実だったとしても私はゴルフ場が大嫌いだ。ゴルフをやる人間は信用しないし、すべて悪人だと思っている。

改めて上空から千葉県を眺めてみると、市原市やいすみ市のほとんどの山がゴルフ場になっている。かつてこの山々にもきっと山神様がいて小さな社がたくさんあったはずだ。うちの小さな裏山にも社や地蔵が3つもあるのだ。あの山々には数知れない神々がいただろう。その神々を失っていったい何が残るというのか。ほんの一時期ほんの少し雇用が生まれたところで、人口が減っていけばそんなものはすぐに無くなってしまう。そして失われた樹木や神は二度と帰ってこないだろう。

人の住んでいるすぐ側に容易には近づけない自然があるということの精神的な充足感は何ものにも代えがたいのではないか。以前住んでいた大多喜の家の前には時々鹿が立っていたり、庭にアナグマがいたり天井裏にハクビシンがいたりした。屋根の上を猿が歩いていた。畑はイノシシに荒らされ農作物の被害は甚大だったが、それでも、そういう動物がすぐ近くに住んでいることを誇りに感じていた。夜動物の鳴き声が聞こえると何か神聖な気持ちになった。それらが無くても多くの人は生きていけるかもしれない。でも私には無理だ。少子化が進み、ゴルフ人口も減り、千葉県のゴルフ場は今後次々に経営破綻していくだろう。あと数十年かけてあの広大な土地が自然に帰っていくことを祈るばかりだ。
by katayama_t | 2014-11-14 18:17 | Social | Trackback | Comments(0)
『社会人』とは何か
『社会人』という言葉を聞くと軽く吐き気がする。その吐き気がどこから来るのかと考えてみると、『就職する=社会人になる』という無意識の合意が蔓延していることへの不快感だと思う。社会人という言葉に何の違和感も覚えない人はきっと、身寄りが無く中学校を卒業してすぐに働かなければならない人や、障害で普通学級に通わせてもらえず、勉強もまともに教えてもらえない親子の絶望など想像したことも無いのだ。そういう多くの人たちをすべて無視して社会人という言葉は使われている。

有名大学を卒業して就職をして『社会人』になり、準備が整ったら結婚をする。結婚式の挨拶の順番は会社の役職で決められ、結婚したら次は家を買って、子どもを産んで……という『計画性』のある人生を歩んでゆく。子どもを『作る』時期も計画的だ。充分なお金がない時には避妊をして、時期尚早に間違って妊娠したら『準備が整っていない』という理由で中絶をする。この人たちの言う『準備』というのは、お金や、仕事の役職だったりする。

まったくたいした社会人である。

こういう社会人達が自己責任論を振りかざすのもよく目にする。高校が無償化されるときに反対していたのはその多くがお金に余裕のある高学歴の人たちではなかったか。ある人は「中学を卒業すれば基礎学力は充分だから高校に行く必要はない」と言う。それを言った人物は博士号を持つ大学の先生で息子はハーバードに留学するらしい。まったく笑えない。彼らが望む社会はなんと不寛容な社会だろう。

誰だって好きで弱者になるわけではない。世の中にはいろんな人がいる。自分の基準で人を非難するのは簡単だが、他人には分からないどうにもならないことはあるのだ。どんなに怠けているように見えようが、甘えているように見えようが、本人にもどうにもならないということはあるのだ。

頭が良く、正論を言う、偏狭な社会人たちが作る社会に僕は属したくない。
by katayama_t | 2013-08-08 22:25 | Social | Trackback | Comments(0)
ニュースの見出しから見える世界
2012.12.30 YOMIURI ONLINEで気になった記事の見出しを挙げてみる

・安倍首相が福島入り、第一原発など視察
・首相「原発新たに作る、福島と全く違うものを」 
・首相、民主の「30年代に原発ゼロ」踏襲せず
・原発ゼロ、白紙に…石原環境相「現実的でない」
・防衛相、民主政権時の「動的防衛力」見直し
・防衛費、拡充の方向…「大綱」と中期防見直しへ
・70〜74歳の医療負担引き上げ…特例措置廃止
・生活保護費、4月から引き下げも…田村厚労相
・公務員削減見直し、官僚と連携…「脱民主」進む
・民主「仕分け」で縮減の道徳副教材、配布復活へ
・東芝、原発の受注有力…フィンランドとチェコで
・自民に期待「景気回復」が74%…読売調査
・安倍政権の閣僚ら、政治資金から不適切支出続々


こうして見出しを見ただけで、世の中の動きが分かる。
ここから読み取れるのは

1.原発を推進して、海外にも売り込む
2.福祉予算を削減して防衛費を拡充する
3.道徳教育を重視する
4.政治家は相変わらず政治資金と私金の区別がついていない

というところだろうか。

ちなみに下から4番目にある『「仕分け」で縮減の道徳副教材』というのは、あの河合隼雄氏監修「心のノート」のこと。学校というところはもともと酷いところだが、あれほど酷い教材もない。見たことの無い人は一見の価値がある。世の中に絶望することうけあいである。
by katayama_t | 2012-12-30 22:42 | Social | Trackback | Comments(0)
10年前の自分に出会う
d0094333_115231100.jpg
資料の整理をしていたら今からちょうど10年前にある団体の機関誌のために書いた文章が出てきた。ぴったり10年後の今、この文章に出会ったのも何かの縁なのかもしれないので掲載しておく。今読み返すととてもつたない文章だけど、たぶん今でもつたない文章しか書けていないと思う。

自分の文章を読み返すことはほとんどない。読み返す勇気がない。私が自己嫌悪と無縁でいられるのは自分を見ないからということもある。

-------------------------------------------------------------
 僕が子どもだった頃、「21世紀」というコトバは「未来」の代名詞だった。少々胡散臭くはあったけれど、それでも未知のものへの不安とあこがれを感じたものだった。
 前世紀の終わりにベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体した時、ああ、このようにしてイデオロギーや国家という幻想が世界からはぎ取られ、21世紀は始まるのかと少し高揚した気持ちでテレビの画面を見つめていた。
 しかし、9月11日に合衆国で2つのビルが崩壊し、その後の世界情勢を見るにつけ、その考えがあまりに楽天的すぎたのだと思い知らされた。世界はまだまだどうしようもないほど分裂していて、人類は未成熟で未来に希望を見いだすことなど出来そうにない。
 先日、ある活動家と会って話をする機会があった。彼女はアメリカ(日本も加担した)によるアフガニスタンへの空爆に反対し、インターネット上で募金を募ってニューヨークタイムズやロサンジェルスタイムズ、その他海外の主要紙に全面広告を掲載した。
 こちらは僕と妻と2歳と3歳の子どもたち、むこうは1歳の子連れという全く場にそぐわないメンバーで国会議員会館で落ち合って、有事法制反対のロビー活動をしたのだ。僕たちの意思とは無関係に大変なことが決まっていくことに、いてもたってもいられず何も手につかずとうとう仕事を休んで「えいやっ!」と出かけてきた。といっても僕たちは今までまったくそんなことはやったことがなく、まるで右も左もわからない子どものようだったのだが…。
 彼女が別れ際に言った言葉が忘れられない。「この国はどうしてこんなに変なことばかりやるのだろう…、あれもこれもたくさんあって対応しきれない。」と、彼女はそう言った。僕はそれを聞いて思った。自分は今まで世界にどれだけ関わってきただろうか…、と。
 それからしばらくして、「自分はいつから大人になったのだと思う?」と唐突に妻に聞かれた。少し考えてから僕は「ここ2〜3年、子どもと関わるようになってからだと思う。」と答えた。妻の目がパッと輝き、「やっぱりそう思う? わたしもそう思うの!!」という返事が返ってきた。
 そう、僕たちはもう大人だ。やっと大人になれたのだ。この国も、この世界も自分と関係ない外の世界ではもうない。未来に希望が見いだせないなどと言って、世界を傍観していていいわけはないのだ。
 僕たちが子どもの頃に感じた21世紀に対する明るいイメージは多くが無知からくる幻想だったけれども、世界から多くの幻想がはぎ取られたように見える今、子どもたちは未来をどのようにイメージするのだろうか…。
-------------------------------------------------------------

10年前にはfacebookもtwitterも無かった。今ならあっという間に情報が拡散するのでたったの3人で国会議員会館に乗り込むようなことはないだろう。この10年間世界は大きく変わったような気もするし、何も変わっていないようにも感じる。良くなっているのか悪くなっているのかもよく分からない。世の中分からないことだらけである。


追記:よく考えたら、政治家に直接会って何かを伝えようという人は、今も昔もそういないかもしれない。一見多くの人が意見を言うようになったように見えるけど、そう見えるだけのことかもしれない。

多くの人がデモに行くことで意思表明しようとしているが、誰に向かって何を言いたいのかがはっきりしない。デモを企画する人は大手のメディアに乗ってデモの人数を増やすことで政治家に圧力をかけようとしているのだろうが、コミュニケーションというものは基本的に1対1の関係の中で産まれるものなのではないかな。

デモに行くことは否定しないし、それどころか、行けなかったことで悔しい思いをしているが、大勢の中の1人でいるよりも、たった1人でも意見を表明して、異なる意見の人と対話することから始めてみるのも良いと思う。(7/5)
by katayama_t | 2012-07-03 18:51 | Social | Trackback | Comments(0)
つまらぬ人達のつまらぬ決断
原発の再稼働をめぐっていろんな人がいろんなことを言う。電気が足りているとか足りていないとか、危険があるとかないとか、経済がどうとかこうとか、よくわからないが、いろんなもっともらしい正論がある。でも、私は何度でも言うがあんな事故があった後にどうして原発という選択肢が残っているのかがどうしてもわからない。どう考えたって「THE END」だろう。誰か納得できる答えを言って欲しいものだ。

このまま原発をすべて廃炉にしろというのはかなり乱暴な意見であることは確かだろう。でも、乱暴で何がいけないのかと思う。革命というものは常に乱暴なものではないのか。革命の無い世界なんてつまらない世界だ。

すべての人は、「社会」という素材を扱うアーティストであるべきなのだ。アートは心躍るものでなければならない。
by katayama_t | 2012-06-17 21:38 | Social | Trackback | Comments(0)
原発再稼働のユウウツ
今、日本で原発が再稼働しようとしているということが私にはどうしても理解できない。原発の事故で失ったものはあまりにも大きい。豊かだった海も山も汚染されてしまった。故郷を捨てることを余儀なくされた人達がいる。経済が大事だというのは分かる。しかし、原発は経済的な損失も大きく、何より人々の暮らしを根底からひっくり返すような危険性を秘めている。今後事故が絶対に起きないなんてことはありえないし、百歩譲って仮に事故が起きる可能性がゼロだったとしても放射性廃棄物の処理は近い将来に必ず行き詰まるだろう。廃炉にも莫大な金がかかる。

こんなことは今や誰でも知っている。

その上でどうして再稼働という選択肢があるのかが、私にはまったく理解できない。

こんなことをしていたら自殺者は増えるばかりだ。未来に希望を見いだせないまったく魅力の無い世の中。

何でも手に入る快適な生活なんてものには何の魅力も無い。誤解を怖れずに言えば、皆何か大きな目標の為に我慢したがっているのだ。素敵な世界を実現するためになら今すぐにエアコンもテレビも捨ててしまえるという人はたくさんいるはずだ。その中で幸福を見いだす人もたくさんいるだろう。

まずは原発を全廃することを決めて、それからどうするかという議論をしていかなければ何も変わらないだろう。新たなことを始めるためには、それまで続けてきた何かが終わる必要がある。
by katayama_t | 2012-06-14 23:10 | Social | Trackback | Comments(0)
花言葉をさがして
amazonにレビューを書きました。

「花言葉をさがして」
by katayama_t | 2012-02-28 12:36 | Social | Trackback | Comments(0)
先生不信
d0094333_2320126.jpg
子どもの筆箱に見慣れない鉛筆があり、どうしたのかと聞くと、ゴミ箱から拾ってきたと言う。他の子ども達が「キタナイ」と言うのも構わずもったいないからと拾ってきたらしい。

落ちている鉛筆を「汚いから」という理由でぽいぽい捨てる子どもの担任。早く定年になればいいのにと思ったが、他の先生も同じことをしていると聞いて絶望した。「田舎の学校にはロクな先生が来ない」と言っていた母親の言葉を思い出す。

大人になって大学の先生になっても先生不信が治らないどころかさらに悪化している。そもそも尊敬できる先生というものに大学に入るまで会ったことが無い。尊敬なんてできなくても良いが、せめて普通であってくれればと思う。

教員の資質と能力に疑問符がつく事件が後を絶たないからか、文科省が教員試験を国家試験にするらしいが、それで何が測れるのだろう?

考えてみれば大学の先生は資格がいらないんだよな。やっぱりロクなのがいないけど。
by katayama_t | 2011-11-27 23:21 | Social | Trackback | Comments(0)
この国には何でもある。
d0094333_2395032.jpgバイトをするのに面接があって、しかも落ちることがあるというだけでも衝撃で、その上、それが当たり前のように語られていることにさらに衝撃を覚えるのだから、現代の若者が置かれた状況など、実は少しも実感として分かっていないのだと思う。

学生時代はバブルの真っ盛りで、六本木あたりでは毎晩ドンチャン騒ぎが行われていたようだが、私たちは殆ど恩恵を受けていないと今まで思っていた。でも、今の学生達の置かれた状況と比べると、あの時代に生きていたというだけで、少なくとも金銭的にはずいぶん恵まれていたのだと気づく。あらゆる職種で慢性的に人手不足で、どこにアルバイトに行っても何の審査も無く採用された。あるときなど、バイトを申し込んだ工事現場のビルに行ったはいいが、複数の業者が出入りしていたため目当ての業者が何階で作業しているのか分からず、入口付近にいた職人さんに声を掛けたところ「さあねえ、私たちもいったいどこにどういう業者が入っているのかも分からないしねえ…」という答え。さらに「で、日当はいくらもらえるの?」と聞かれたので「1万円です」と答えたら「もう少しはずむから、もしそこが見つけられなかったらウチで働かない?」と言う。新しいビルはじゃんじゃん建つし、どこも人手不足なのだ。

あの頃に大学生だったというのは、おそらくその後の人生に大きく影響している。『自分はそれほど酷い状況にはならない』と何の根拠も無く信じているフシがある。それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、とにかくまったく危機感が無いのだ。もしかしたらこういう楽天的な人間がのっぴきならない状況に追い込まれると簡単に死んでしまうのかもしれないが、自分はそうはならないと、やはり何の根拠も無く信じている。

今の日本を動かしているおじさんやおじいさん達も自分が若かった頃に見た日本を引きずっているように見える。世界の構図が変わってきていてもそれに対応して変化することができないのだ。「なんだかんだ言っても日本は世界と比べればまだまだ恵まれている」と言う人もいる。だけど、そういう問題では無いと思う。

年間の自殺者が13年連続で3万人を超えているような国の人達が何に恵まれているというのか。

そういえば村上龍がこんなこと言ってたっけ…。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」:「希望の国のエクソダス」村上龍

でも、一方で「希望」は国の中に見いだすものではなく、自分の中に自ら作りだすものだという気もする。それはそれでつらいことかもしれないが。
by katayama_t | 2011-10-29 23:08 | Social | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ
以前の記事
2018年 08月
2018年 07月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 08月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
Link
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


View my profile