Katayama Takatoshi Weblog
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カーディーラーに行く
昨日は筍狩りに卒業生が7人来た。皆で竹林を片付けてくれて大助かり。1人でやっているとちっとも捗らないが、人数がいるとみるみる片付く。
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一夜明けて今日は市川にあるフィアットのディーラーまでバイクを走らせる。

パンダにこのまま乗り続けるか、新しい車を探すか思案中だ。フィアットプントが80万円、アルファロメオ145が45万円。アルファの方が断然安いが、これはどうみても家族が乗る車ではないな。足回りを硬くしてローダウンして、吸排気系を変更してある。ボンネットの塗装もかなり褪せている。ボンネットのみ黒に塗装し直すという手もあるがそうするとよけいに走り屋仕様になるな。乗ってみるとさすがに速いし、マニュアル車を操縦しているという快感がある。こういう車を汚いまま乗るというのもまた良いが、それにしてはちょっと値段が高い。
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家族を乗せることもあるし買うのならプントの黄色にしようと心を決めて帰ってきた。ここにあるオレンジも綺麗だが、メタリック塗装がどうしても好きになれない。
by katayama_t | 2007-04-30 23:01 | Life | Trackback | Comments(0)
久しぶりにテレビを見た
テレビを見るという習慣がいつの間にか無くなっているが、今日は代理出産の向井さんという人が出るというのでどんな出鱈目を言うかということに興味があり途中から見てみた。「オーラの泉」という、よくもここまで悪趣味にできるものだというようなくだらない番組だが、耐え難いビジュアルを我慢して見ていると言っている内容もまた耐え難いほど酷かった。江原なにがしという人が言うには、彼女は最初から代理出産にこだわっていたわけではなく養子縁組も真剣に考えていたという。でも養子をとる場合はいろいろな難しい問題があるのだと言う。例えば1年後に産みの母親が我が子を返せという場合もあるし、成人してからこの子は実は自分の子だとバラすぞと脅される場合もある。そういう事例がたくさんあってとても問題が多いなんて言っている。

無知なのか、あるいは知っていて出鱈目を言っているのか知らないがいずれにせよこんないいかげんなことを言って貰っては困る。世の中の多くの人はテレビで紹介されたというだけですぐに納豆を買いに走るほど愚かなのだ。こんなことを言うとそれを真に受けて間違った認識を持つ人たちが増えるじゃないか。

それに仮にそういうことが多かったとしてもそれがどうしたというのだ?産みの母親を敵だと思っているからそんなことが心配になるのだ。子どものために何ができるかということを産みの親と一緒に話し合えばいいだけの話だ。こいつらバカなんじゃないか?

言っていることはめちゃくちゃで聞くに堪えないが、本気にしてしまう人もいるのだということを考えて貰わないと困る。「人間は結局みな平等」だって?バカ言っちゃいけない。「愛情をそそげば必ず報われる」なんて言っていてよく恥ずかしくないな?それは愛じゃないだろ。取引だ。結局は子どもの事なんて何も考えてないエゴイストだ。

あまりに耐え難いのでチャンネルを回すと、NHKで世界遺産に認定されているワルシャワの街を取材していた。ワルシャワの旧市街というのは一見すると歴史のある建築が軒を連ねているように見えるが、実はこれらの建物は戦後建てられたものだ。戦時中ナチスドイツによってめちゃくちゃに壊された街を、40年以上の歳月をかけて大変な努力をしてもとの姿に復元した。だからワルシャワの世界遺産としての価値はその建造物の保存価値ではなく、それを戦後復元したという人々の精神と不屈の努力にある。ワルシャワ市民の努力のすばらしさもさることながら、そういう人々の精神を世界遺産として認定したというユネスコの判断にも拍手を送りたいと思う。

チャンネルを回した時はもう番組の終わりだったが、くだらない番組を見る為に時間を費やすよりも最初からこっちを見るべきだったと思った。
by katayama_t | 2007-04-28 22:23 | Social | Trackback | Comments(0)
美しい道具
近所に住む大工さんの家に区費を納めに行く。作業場に刻み終わった木材が積んであるので見ているといろいろと説明をしてくれた。枘(ほぞ)や継ぎの種類から隅木の納まり方などなど、全てが理にかなっていて感心しきりだ。

最近では皆住宅メーカーの家を買うから仕事が少なくてまともな大工がどんどん仕事を辞めていくらしい。残っているのは大工と呼べない第7か第6くらいのものだという。住宅メーカーの家は見た目は綺麗だけど20年しか持たないし、新建材を使うから火事になったら苦しくて逃げられない、この先あんな家ばっかりになってどうなるんだろうと心配になるそうだ。

いろいろと話を聞くうちにこんどは道具の話になった。大工道具は道具の作り方から大学で習ったので一通り知っているつもりでいたが、削る木材の種類によって鉋の刃の角度が違うとか、差し金の使い方の話になるともう全然太刀打ちできなかった。
特に差し金の読み方は大工か第8かを見分けるには差し金を使わせてみれば分かるというくらい奥が深いそうだ。

差し金一本で五角形も八角形も簡単に引けるし(そう言いながら実際に引いてくれた)、丸棒の円周も、正方形の対角線の長さも出せる。螺旋階段の寸法も屋根の勾配もこれ一本で割り出す。実に奥が深い。吊り鐘堂の柱に用いる四方転び(四方に角度が付いた柱)も差し金を使って作るそうだ。なかなか凄い道具だ。日本建築の伝統の知恵が凝縮されている。

私はこういう道具が大好きである。小数点以下2桁まで測れるようなノギスやマイクロメータも好きだし、機械式のカメラも好きだ。電気を使ったハイテクの道具はつまらないが、こういう金属に目盛りがついているだけで精密に測れるとか、機械的な動作だけで数百分の1秒でシャッターを動かすなんてのは、凄いと思うし、そのあり方が美しい。
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by katayama_t | 2007-04-28 13:12 | Life | Trackback | Comments(0)
ロストロポーヴィチの死去
ロストロポーヴィッチが死んだ。80歳だった。バーンスタインが亡くなったときにも感じたがこれで確実に1つの時代が終わったという感じがする。

ロストロポーヴィッチというのはソルジェニーツィンやショスタコーヴィチらと親交のあった世界的なチョロ奏者だ。当然自らも迫害されて政府から演奏活動を禁止され、74年に出国、78年にはソ連政府から市民権を剥奪され、90年になってゴルバチョフ政権下でようやく回復した。

彼はチェロ奏者として名高いが、実は指揮者としても活躍している。
私はチェロ奏者としてのロストロよりも指揮者としてのロストロのほうがむしろ好きだ。彼のチェロの音色はみずみずしく明るく透き通っているが、チェロという楽器はパブロ・カザルスのようなドスのきいた渋い音色の方が似合っているのではないかと私は思う。ところが指揮者としてのロストロはどちらかというと渋く地味な演奏で独特のすごみがある。

ロストロの指揮者としての演奏を最初に聞いたのはショスタコの5番だ。それまでバーンスタインの演奏を気に入って聞いていたのだが、バーンスタインとは180度違う解釈の演奏を聴いて、とてもショックを受けて一気にファンになった。バーンスタインの演奏は良くできたエンターテイメントだが、ロストロの演奏はショスタコの交響曲を通して当時のソ連における芸術家の極度に抑圧された状況を映し出しているようだった。私はその演奏を聞いてからバーンスタインの演奏が軽々しく感じられてもう聞けなくなってしまった。

いずれにせよ、みんな死んでしまった。ロストロもショスタコもバーンスタインもベリオもクセナキスもケージも20世紀末に活躍した音楽家は軒並み死んだ。ああ、まだブーレーズは生きているか…。でも最近まったく話題に上らないな。今や音楽家も皆ポストモダンの世代になって音楽が軽くなった。映画音楽を作ってるくらいが似合っているような作曲家ばかりだ。巨匠と言えるような人がいない。美術も同様で私もその中の1人だが、少し、…いや、とても寂しい。まあ、これも時代だな。

まてよ、まだアーノンクールがいる!
彼は遅れてきた巨匠だ。私たち現代人は良くも悪くもバランスが取れているが、アーノンクールは同時代人とは思えないほどアンバランスだ。彼の演奏する「四季」なんて激しすぎて聞けたもんじゃないが、モーツァルトのレクイエムなどは一度聴いたら虜になる。彼はきっと何かを強烈に信じているんだ。神が死んだこの現代で何かを信じることができるというのもまた才能だな。
by katayama_t | 2007-04-28 00:36 | Music | Trackback | Comments(0)
Google Earthとダルフール紛争
昼休みにお昼を食べながらGoogle Earthを適当な速度で流して世界旅行をしていると、地球が水の惑星だということがよく分かる。進む方向を間違えるとほとんど海ばっかりだ。で、日本を起点にしてなるべく陸地の多そうな方へ向けて出発するのだが、それでもほとんどが人が住んで居なさそうな荒野だ。

そんな荒野が続く地域をなにげなく見るともなしに見ていると何やら赤い炎のマークがたくさん見えた。「何だろう?火山でも噴火してるのか?」と思って通り過ぎたが、「ハッ!」と思い当たって戻ってみた。

やっぱり…。スーダン・ダルフール地域の上空を通過していたのだ。Google Earthがダルフール紛争の情報を掲載しているというのをどこかで読んだが、これがそうだったのだ。
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ダルフール紛争というのは現在地球上で起きている殺戮の中で最悪のものだ。アラブ人と非アラブ人の間の紛争からアラブ人による非アラブ人の虐殺へとエスカレートしていった。アムネスティインターナショナルによると2003年から2005年までに28万人以上が死亡し、200万人以上が国内避難民となり、20万人が国境を接する隣国チャドで難民生活を送っているらしい。(…この数字がどこまで正確かはわからない、あるサイトでは死者7万といい、またあるサイトでは18万という具合に大きな開きがあるが、いずれにせよ莫大だ。)

アメリカの大学で銃が乱射されると大きく扱われるが、その翌日にイラクで一日に200人あまりが殺されていてもさほど問題にされないのと同じように、スーダンのダルフール地域の民族紛争に関してはほとんどニュースにならない。そもそもアメリカがイラクに侵攻する以前からダルフールでは大規模な殺戮が行われていたが、国際社会は何も手を打たなかったし、ニュースでもほとんど扱われなかった。

そんな世界から忘れ去られているダルフールの実態はなかなか知ることができない。スーダン政府によってジャーナリストの立ち入りが制限されているからだ。しかし、衛星写真には破壊された家々がはっきりと写っている。Google Earthはそこに目印を付けることによって容易に見つけ出すことを可能にしているのだ。
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今日本にいながら何が出来るか、と思って検索していたらこんなblogを発見した。
ダルフールのことに続いてルワンダのことも書かれている。
ああ、やっぱりそこに行くか…。
ルワンダはほんとにひどかった。最悪だった。この方が書かれているようにできれば避けて通りたいが、やっぱりそうはいかないよなあ…。
by katayama_t | 2007-04-27 19:34 | Social | Trackback | Comments(0)
良い天気
ようやく雨も上がり今日は気持ちの良い天気。
鯉のぼりを吊して大きく深呼吸。
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by katayama_t | 2007-04-26 07:19 | Life | Trackback | Comments(0)
平田五郎展に行く
平田五郎展のオープニングパーティーに行った。展示は蝋の部屋のインスタレーションとアラスカで作った彫刻の写真、それから現地で作ったカヌーの3つだ。そのどれもに制作に対する真摯な態度と自分の芸術を貫き通す強いエネルギーを感じ取ることが出来る。
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アラスカのプロジェクトは手作りのカヌーでアラスカを周り現地で採集した石や貝殻などで各地に合計10の彫刻を作るというものだった。作った彫刻はやがて自然に帰りまたもとの風景にとけ込んでいくだろう。

私たちは彼の写真と文章を通してそれを追体験することしかできない。しかし、だからこそ彼の作品には強度があるのだ。彼の作品はいつも私にほんとうに大事な物とは何なのかということを思い出させてくれる。

彼の言うとおり「作品を所有することはできない」のだ。
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11日には会場でアーティストトークがある。ぜひまた行こうと思う。
by katayama_t | 2007-04-26 00:40 | Art | Trackback | Comments(2)
平田五郎展
うっかりしていた。見落とすところだった。
明日から平田五郎展がある。

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●……平田五郎展
INSIDE PASSAGE-RAVEN STOLE THE LIGHT 月を盗んだワタリガラス

○……主催:GALLERY A4(ギャラリーエークワッド)
2007年4月25日(水)〜5月31日(木)

会場
GALLERY A4(エークワッド)(東京都江東区)

時間
10:00〜18:00(最終日は17:00まで) 休館日:日曜・祝日

内容
1年間アラスカに滞在し、フィールドワークを行った平田五郎氏の成果発表でもあるこの展覧会。今回の作品制作の旅はアラスカのトリンジット族の神話「INSIDE PASSAGE-RAVEN STOLE THE LIGHT」がモチーフとされています。神話のワタリガラスが月を求めて次々と10の箱を開ける物語のように、平田氏は行く先々で現地の素材を集めて小さな彫刻を作り、自ら撮影して写真に収めました。現地の素材を使って額装された写真、パラフィンワックスによる家型のインスタレーション映像による作品紹介、制作旅行の資料などの展示をおたのしみください。

【アーティストトーク「INSIDE PASSAGE」】※申込不要、定員100名
日時:5月11日(金)18:30〜20:00
出演:平田五郎
聞き手:岡村知子(資生堂ギャラリー学芸員)
場所:竹中工務店東京本店1Fホール
入場料
無料
お問い合わせ
GALLERY A4(エークワッド)
〒136-0075 東京都江東区新砂1-1-1竹中工務店東京本店1F
TEL:03-6660-6011 E-mail:gallery@A-quad.jp
URL
http://www.a-quad.jp/
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平田五郎は芸大の同期だ。といっても彼は油絵科で私は彫刻科、ほとんど接点がないまま卒業したが卒業後に友人を介して付き合うようになった。本人は知らなかっただろうが、実は彼は彫刻科の学生達の間ではちょっとした有名人だった。

芸大の彫刻科と油絵科は隣同士だが、彫刻棟と絵画棟の間に小さなプレハブが建っている。ここは代々油絵科にいながら立体的な作品を作る人の作業場として使われていて、彫刻科からも油絵科からもはみだした人種がここで作業をするのだと彫刻科の学生達の間ではささやかれていた。ちなみに私の入学前には川俣正さんもこの場所で制作をしていたらしい。そして私が学生の頃にはこの場所で平田五郎が作品を作っていた。…そう今にして思えばあれは作品だったのだ。

当時、彼はそのプレハブの前で何かをしてはいたが、それが何をしているのかは皆目分からなかった。
その場所の前を通るときに横目でちらっと見ると、大きな丸太を横にして鉄片とハンマーでその丸太に傷を付けていた。鉄片をハンマーで叩くので当然ねらいが定まらず、たびたび手にハンマーが命中する。手は血だらけである。彫刻科の友人たちと「あれは何をしているのだ?」と話していたのだが、気味が悪いので誰も近づこうとはせず、まるで何かの儀式のように手にハンマーが当たるたびに少し中断してはまた同じ行為を繰り返し大きな丸太に立ち向かい続ける彼の周囲には何かただならぬ緊張感があった。

なんだか危ない人かもしれないと思っていたのだが、卒業してから何かの折に友人を介して出会い、行動を共にしてみたらすぐにうち解けた。彼は表裏が無く実に人なつっこい性格で皆に好かれる。社交的と言っても良いくらい話し好きで、ちっとも危ない人という感じはしない。ところが、やっていることはというと常人の考えることとは思えないような大胆さで、その結果出てきた作品もとてつもなくすごい。あの人物のどこからこういうセンスと行動力と強度が出てくるのかと思うが、そのギャップがまた面白い。

学生の時にあの場所で何をしていたのか?と聞くと木を彫っていたのだと言う。続けて、彫刻科の人は誰も教えてくれないで見て見ぬふりをして行っちゃうんだ、すごく冷たいよ。と言う。
そうか、そうだったのか。それは悪いことをしたな。でも木を彫っているようにはとても見えなかった。その行為自体に意味があると言わんばかりの様子をしていたのだ。

そんな彼が今回アラスカに行って作品を制作してきた。その成果報告を兼ねた展覧会が明日から開かれる。まだ未整理だという写真を見せて貰ったが、すごくいい。

生前星野道夫さんが言っていた言葉が思い出される。

「私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、なかなか見ることの出来ない、きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。」 :星野道夫著ノーザンライツ p174

アラスカの大自然もさることながら、まだこの現代に平田五郎のようなまっとうな仕事をしている芸術家がいるということがどれだけ勇気づけられることであるか、その写真を見て思った。
是非ともたくさんの人に観てほしい展覧会である。
by katayama_t | 2007-04-24 22:55 | Art | Trackback | Comments(0)
普通であること
…忙しい。でも忙しいときこそ何か作ることが必要だったりする。少しでも創造的な仕事をしていないとどこかに変調をきたしそうだ。

そんなわけで今日は昼休みに1年ぶりくらいに轆轤を回して器を作った。食器なんて自分で気に入ったいいものを買えばいいのだろうが、「いいもの」というのはなかなか無いし、あったとしてもすんごく高いのだ。それで小さな食器は自分で作ることにしている。自分で作ればずば抜けて良いわけではないがまあまあ「普通の物」ができる。普通の物といってもその辺で売っているものよりははるかに良い出来だ。

久々に作るとこんな小さな物でもドキドキわくわくと胸が高鳴る。うまくいくと感動するし、無理をしすぎて失敗すると「人生終わりだ」くらいの勢いでがっくりする。実にエキサイティングだ。巷の陶芸教室ってのが常に繁盛しているのがわかるような気がする。
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余談だが、先日ピート(アメリカ人の友人)とチャットをしていて、「普通にしてると自然とminorityになるよね」という話になった。

ピート:「日本語で普通というといい意味するよね。英語だったらnormalとかaverageはあまりいい意味しない」
私:「そうかも」
ピート:「家でよくそういう話なってる」
私:「普通にしていて少数派(minority)ってのがいい」「普通にしてるってのは素直で体制になびかないってこと」
ピート:「やばい、よめない」
私:「はは」
ピート:「たい」
私:「たいせい」
ピート:「ああああああああああああ」「やっぱ日本語がダメになってる」「ちくしょー」

日本に2年いただけでこれだけ話せればたいしたものだと思うが…。まあ、それはさておき、問題は「普通」である。

私がそもそも陶器を自分で作るようになったきっかけは良い茶碗がほしかったからだ。
私は学生時代にお茶を習っていた。習っていたといってもあまり本格的にやっていたわけではないのだが、少しお点前を覚えてくると自分の茶碗がほしくなるのは自然だ。で、お茶屋さんや焼き物屋さんに行って茶碗を見て回ったのだが、どれもこれも下品な酷い代物で、それにもかかわらず「バカにしてるのか!?」と思うような値段がついてる。たまに「これ普通でいいな〜」と思うのがあると、それは博物館にある国宝だったりと、なかなか思うようにいかない。でも、観ていると国宝の茶碗もごく普通の感じがしてそれほど凄いという気がせず、「このくらい作れるんじゃないのか?」と思ってしまったのだ。

自分で国宝級の器を作ろうというアイデアに、思い立ったら居ても立っても居られず次の日に粘土屋に行き、色が綺麗だというだけの理由で今にして思えばとても初心者向きとはいえない志野土を買い、さっそく作り出した。記念すべき第1作は5時間格闘した後ようやく形になったというもので、今でも大事にしているが、実際に自分で作ってみて悟ったのは「普通」というのが如何に大変なことなのかということだった。自分で作った器は作為がみえみえでちっとも「普通」じゃなかったのだ。

酒を飲むのでも料理を食べるのでも良いが、器が気にならないというのは実は結構すごいことだ。たいていは器に作為が見えすぎていたり、形や色のセンスが悪かったりして気分が悪くなる。食事をした後、器のことを何も覚えていないということがあったとしたら、それは実はとても良くできた器なのかも知れない。そういう「普通の物」が作りたいと思う。
by katayama_t | 2007-04-23 23:47 | Art | Trackback | Comments(0)
竹トンボに思う
d0094333_2262526.jpg昨日は教え子達に誘われて動物公園でスケッチ。動物シリーズの作品集を作ろうと意気込んで行ったのだが、全く話にならないくらい形にならない。自分が如何に描けないかということを思い知らされて帰ってきた。動物は常に動くので形を瞬時に覚えて特徴を抽出し素早く描くという技術、いわゆるクロッキーの技術が必要だが、自分にはほとんどそういう技術が無いということがわかった。修行が必要だ。


d0094333_2224612.jpg一日あけて今日は気を取り直し竹トンボを2つ作った。
竹トンボは昔まだ学生だった頃、半年くらい入院していた時に暇にまかせてベッドの上でたくさん作った。小さい物は羽根の長さが5cmくらい、大きな物は25cmくらいで全部で20くらい作った。入院中にはその他にも耳かきを作ったり組細工の十字架を作ったりして暇を潰していた。あんまり暇なので、そのうちに小説から哲学までいろんな本を読むようになって、だんだん本の世界にはまっていった。次から次へと読みたい本の興味が繋がっていってそれなりに忙しくなったりしていた。

今にして思えばあの入院生活があったからこそ今の自分があるのだと思えるほど自分にとって重要な日々だった。
ドストエフスキーもニーチェもヘッセも、またサルトルやボーボワールにも病院のベッドの上で出会った。

病室は空調も完備されているし、食事も3食きちんと出てくるし、適度に人とのふれあいもある。じっくり本を読んだりものを考えたりするには実に良い環境だ。病院の入院生活ってのは慣れてしまえばとても快適なのだ。逆説的だが、病院という閉ざされた空間に長くいたからこそ世界の形がそれまでよりはっきり見えるようになったのだと思う。また入院したいとは思わないが、じっくり本を読んだりものを考えたりする時間と空間がほしい。それが如何にぜいたくな望みなのかは分かっているが…。
by katayama_t | 2007-04-22 22:20 | Life | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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