Katayama Takatoshi Weblog
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アートの力、場の力
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豊島美術館へ行った。行くまでは、はっきり言って何も期待していなかった。それは「豊島美術館に」と言うよりも「アートに」といったほうがいいかもしれない。近頃流行の芸術祭を見ると、確かにそこでは広義のアートと呼べるような何かが起きてはいる。アーティストの情熱と作品の持つ力は人を動かし、人の意識を変え、心を豊かにする。それはとても大切なことだし、今の経済一辺倒の日本では最も求められていることでもある。そういう意味では瀬戸内芸術祭は大成功していると言っていい。高齢化が進み、工業化され、あるいは産業廃棄物が運び込まれるような瀬戸内海の小さな島々に、アートと建築で人を引きつけ、芸術祭期間中だけで延べ90万人以上が訪れることになるなどということを誰が想像できただろう?

しかし、芸術祭に人が集まるのは、作品の力というよりも、芸術祭それ自体が広義でのアートであり、「アート作品を観に行く」ことを口実にして瀬戸内の美しさに触れる為の装置なのではないかと思っていた。アートの質や、その場所にある意味などは実はたいして重要では無く、人と人、人と自然との交流が、「芸術祭」という作品のメインテーマなのではないかと考えていた。

豊島美術館を観るまでは確かにそう思っていた。

豊島美術館には、そもそも何も期待していなかったので、どういう展示なのかまったく調べずに行った。異様な外観を見ても「むちゃな建築だな」と思うのみで、どちらかというと否定的に捉えていた。「知識として一応見ておくか」くらいの軽い気持ちだったように思う。

しかし、入ってすぐにそのあまりの美しさに圧倒されてしまった。風に揺らぐリボンなどは蛇足だと思ったが、水とその動きの美しさ、そして、それと一体となった大きな空間には素直に深く感動した。また、来場者の、立ちすくみ、あるいは座り込んだまま動かず、どこか遠くを見るような表情を見たときに涙があふれそうになった。これを観るためだけに遠く海外から豊島を訪れてもいいし、一日中ここで過ごしてもいいと思った。いや、アートが好きな人間は、誰であれ、どこに住んでいようが、是非ともそうすべきだとさえ思った。

およそアートと呼ばれるもので自分が感動することはもう無いだろうと思っていたが、その考えは完全に間違っていた。現代アートなどというものは一部のマニアだけにしか通用せず、いつか突然ゴミになるような代物だと思っていたが、そうではなく、作品によっては人の心を本当に動かし豊かにすることが確かにできるのだということをこの作品は信じさせてくれた。

長らく、「アート」に疑問を感じてきたが、アートや人間の可能性をもう一度信じても良いと思った。
豊島美術館を観てから、その余韻が持続し、観る前のことがもううまく思い出せない。そういうのは本当に素晴らしいと思う。
by katayama_t | 2013-08-27 18:45 | Art | Trackback | Comments(2)
『社会人』とは何か
『社会人』という言葉を聞くと軽く吐き気がする。その吐き気がどこから来るのかと考えてみると、『就職する=社会人になる』という無意識の合意が蔓延していることへの不快感だと思う。社会人という言葉に何の違和感も覚えない人はきっと、身寄りが無く中学校を卒業してすぐに働かなければならない人や、障害で普通学級に通わせてもらえず、勉強もまともに教えてもらえない親子の絶望など想像したことも無いのだ。そういう多くの人たちをすべて無視して社会人という言葉は使われている。

有名大学を卒業して就職をして『社会人』になり、準備が整ったら結婚をする。結婚式の挨拶の順番は会社の役職で決められ、結婚したら次は家を買って、子どもを産んで……という『計画性』のある人生を歩んでゆく。子どもを『作る』時期も計画的だ。充分なお金がない時には避妊をして、時期尚早に間違って妊娠したら『準備が整っていない』という理由で中絶をする。この人たちの言う『準備』というのは、お金や、仕事の役職だったりする。

まったくたいした社会人である。

こういう社会人達が自己責任論を振りかざすのもよく目にする。高校が無償化されるときに反対していたのはその多くがお金に余裕のある高学歴の人たちではなかったか。ある人は「中学を卒業すれば基礎学力は充分だから高校に行く必要はない」と言う。それを言った人物は博士号を持つ大学の先生で息子はハーバードに留学するらしい。まったく笑えない。彼らが望む社会はなんと不寛容な社会だろう。

誰だって好きで弱者になるわけではない。世の中にはいろんな人がいる。自分の基準で人を非難するのは簡単だが、他人には分からないどうにもならないことはあるのだ。どんなに怠けているように見えようが、甘えているように見えようが、本人にもどうにもならないということはあるのだ。

頭が良く、正論を言う、偏狭な社会人たちが作る社会に僕は属したくない。
by katayama_t | 2013-08-08 22:25 | Social | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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