Katayama Takatoshi Weblog
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父死す
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父が死んだ。
先々週に、通夜と葬儀を済ませ、あとは49日に法要と納骨をすればすべて終わる。
父親らしいことをしてもらった記憶が無いため死んでも何の感慨も無いものだと思っていたが、この3年間ほどは父の介護に明け暮れていたこともあり、いざ死んでみるとやはり何か今までとはずいぶんと違う心持ちがする。

特に2年前くらいからは時を選ばずに電話がかかってきて、その度に、運転中だろうが夜中だろうが、電話に出て話を聞いた。それは大抵たいした用件ではなく、「煎餅が食べたいから買ってきてくれ」とか「車の鍵が見当たらない(とうに車など運転できないのに)」とか「電気がつかない」などという遠く離れた場所からではどうにもならないものだったが、本人にとってはそれが一大事だということは電話口から伝わってきた。それがそのうちにいよいよおかしくなってきて、「部屋の外に誰かいて監視されている」とか「いつ迎えに来るんだ? 今日は病院へ行くんだろ」とか、夢の中で生きているような感じになり、1ヶ月ほど前からはついに電話もかかってこなくなった。

病院は月に2〜3回。本人が歩けないため、身体を持ち上げて車の助手席に押し込み、車いすをたたんで後部座席に載せ、途中で排泄があれば、狭い病院のトイレでオムツを替え、病院の帰りには好きな寿司やウナギを食べさせた。まるで大きくて手のかかる赤ちゃんだ。

ついに寝たきりになり、意識も朦朧とし、食事も受け付けなくなり、そうなると早かった。坂道を転がるようにあっという間に最後の時を迎えた。

それから悲しむ間もなく、通夜や葬式の準備。人は死んでからも面倒をかける。通夜や葬式では会いたくも無い人たちにたくさん会わなければならず、とても消耗した。

49日の法要でまた親戚と顔を合わせなくてはいけないかと思うと気が重いが、それが終わればようやく生まれ育った土地の人間関係から縁を切ることができると思って、もう少しの辛抱だと、嫌がる自分に言い聞かせている。でもどうしても嫌だ。

自分が死んだときには葬式はやらずに焼いた骨は海にでも撒いてほしい。
by katayama_t | 2016-10-03 07:32 | Life | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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