Katayama Takatoshi Weblog
<   2018年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧
久しぶりのスプーン作り
材料はまだたくさんあるけど、そろそろ飽きてきたので、今回はこの辺でおしまい。数年前にたくさん作ったスプーンを家で使っていたが、頻繁に使うものと、まったく使わないものがはっきりと分かれて、何がポイントなのかということが少し分かってきた。今回は前回よりも確実に進歩しているのが自分でも分かる。

凹面は丸鑿で彫ったそのままにして、凸面はやすりをかけてステンレススプーンの裏で磨いて艶出し。最後に荏胡麻油を塗って仕上げ。

d0094333_18173862.jpg
d0094333_18175309.jpg


by katayama_t | 2018-02-24 18:19 | Art | Trackback | Comments(0)
プロとアマチュアの違い
d0094333_21481124.jpg
アマチュアとプロの違いについて考える機会があったのでメモ

プロフェッショナルという言葉には2つの意味がある。
単純にその仕事で得た対価で生活ができているかどうかを言う場合と、その仕事に対する姿勢の厳しさを指す場合の2つだ。もちろんその2つが両立している場合も多いとは思うが、両立しない場合も相当数あると思う。もし生活の糧を得られていないというだけで、プロではないとするならば、芸術家の多くはプロではないことになってしまう。皆が知っているあのゴッホだって生涯を通じて数枚しか絵が売れなかった。

プロフェッショナルという言葉の対義語としてアマチュアという言葉がある。この言葉にも2つの意味があり、1つは「素人」、つまり未熟でその仕事に必要な技術をマスターしていない者を指す。そしてもう1つは「愛好家」という意味だ。愛好家というとつまり素人のことだと考える人もいるかと思うが、この2つはまったく違う。

アマチュア(amateur)という言葉は、イタリア語のアマトーレ(amatore)を語源としていて、これは愛するという意味のamareから派生した言葉だという。つまり、アマチュアという言葉は本来何らかの対価を得ることを目的とせずに、好きだからやる、愛に導かれてやるという意味だ。それに対してプロフェッショナルというのは、仕事に対する姿勢や、得られる金額のことを指していて、その仕事が好きか嫌いかは関係ない。

プロフェッショナルという言葉も、アマチュアという言葉もこれらの意味を区別しないで使っているからややこしくなるのではないかと思う。この2つの言葉を対義語としてとらえるのも間違っているのではないか。だから最初に書いた「アマチュアとプロの違い」という問いも、その問いの立て方自体が間違っている。

本来的に商業と深く結びついているデザイナーという職業ならともかく、芸術家なんてものは、その仕事が好きだという動機に導かれてやるものであって、それで生活ができるかどうかは本来副次的なものであるはずだ。

あくまでも副次的な結果としてたくさん収入があるかもしれないし、まったく収入が無いかもしれないが、それは作品の価値とは関係が無いのだ。

芸術という概念は19世紀以降にできた。それまで絵画や彫刻は誰かの依頼によって作られていた。だから画家や彫刻家というのは「職業」だった。

だが今は違う。先日知り合った染織家が、若い頃に有名な染色作家に弟子入りを申し込んだところ、「まずは他に仕事を確保しろ、この仕事では食えないから」と言われたそうだ。芸術家というのは本来そういうものなのだ。

by katayama_t | 2018-02-19 21:49 | Art | Trackback | Comments(0)
生きている気がするように

昨年まで毎日畑仕事をしていた隣に住んでいる少々呆けてきた90歳のおばあさんが、「毎日外に出て仕事をしていないと生きている気がしない」と言っていた。

材木屋の江沢さんは、土日だろうが祝日だろうがいつ行っても仕事をしているので「一年中休みなしなんですか?」と聞くと、「俺は馬鹿だからよう、仕事してないと何もなくなっちゃうんだよ」と言っていた。

今までは、「凄いな……、自分にはできないな。」と思っていたが、自分も気がつけば毎日身体を動かして仕事をしていないと生きている気がしないし、身体を動かしているだけでは物足りなくて、何かを作っていなければ生きていけない。いつの間にかそうなっていた。休日は休みの日では無くて生きるために仕事をする日になっている。

いつからだろうと思い返してみても分からないが、はっきりと自分に対して驚きをもって自覚したのはこの時だったかなと思い出す出来事がある。

昨年の8月にミラノの素敵なトラットリアで小野寺さんとその妹と三人で飲んでいたときに「明日ベネチアに行くので一緒に行きましょう!」と誘われたがちょと迷ってから断った。一緒にいてとてもとても楽しかったし、たぶん一緒に行けば楽しく過ごすことができたと思う。でも、早く制作をしたいという思いのほうが勝った。レジデンスプログラムで滞在しているギッファに戻ってとにかく何か作らなければ自分が自分で無くなるような気がした。今まではこんなことはなかったように思う。好きな人の誘いを断るなんてことはあり得ないし、結果はどうあれ流れに身を任せていた。自分の未来の可能性を狭めるようなことをすることはまずなかった。

この時にはっきりと自分は変わったのだと自覚した。自分でも少し驚いたが、たぶんこの時にいきなり変わったわけではなく、今までは見て見ぬふりをして無理をして人付き合いをしてきたのかもしれないとも思った。

日常的に何かを作っていないと、どんなことであれ本当に楽しむということはもうできない。ひょっとしたら昔からそうだったのかもしれない。ようやく自覚しただけなのかもしれない。

ネットに接続すればいろんな情報が飛び込んでくる。でも今はそのほとんどがどうでも良いように感じる。それでも沖縄問題や原発問題、人の尊厳の問題など、無視できない問題はあるが、アートとかデザインとか、クラフトとか、暮らし? とかもうどうでも良いのではないか。そんなことを言っている余裕のある人は盲目だ。問題はそんなところにはない。もっと切実で自分ではどうにもならないところに本当に向き合うべき事はある。そこに向き合うことが生きているということなのだと思う。

写真は先日もらった山桜を彫ったもの。お玉は時間がかかったけどスプーンは楽勝。すぐにできる。



by katayama_t | 2018-02-12 18:04 | Life | Trackback | Comments(0)
親がいなくなって気づいたこと
d0094333_21173695.jpg

この数年間、自分は精神的にずいぶん乱高下していたような気がする。この数年で何があったのか冷静に思い返すと、2013年に妻の母親が同居後1週間で亡くなり、2016年に私の父親が亡くなり、2017年には同居していた妻の父親が亡くなった。私の母はずいぶん前から認知症がひどく短期記憶をまったく保てない。世の中にはひどく虐待されて育った人もいるから人にもよると思うが、親というのは何があっても無条件で自分の味方をしてくれる唯一の存在なのではないかと思う。そういう人がこの世から居なくなるということは、やはり大きな損失だったのだと思う。

何もしてくれなかったと思っていたが、親の期待や呪縛がなかっただけでもずいぶんと恵まれていたのではないかと今は思う。いま自分の存在を肯定できているのは親に捨てられるという心配をせずに育ってこられたからではないか。そして、それが親が子どもにできるほとんど唯一のことなのではないかと思う。自分を肯定することができれば生きていくのはそう難しくない。


by katayama_t | 2018-02-07 21:20 | Life | Trackback | Comments(0)
立春の卵
d0094333_20520138.jpg
中谷宇吉郎の「立春の卵」の話は野口三千三先生から教わった。
とても面白い話で、「立春に卵が立つ」という新聞紙面を賑わした与太話を、あっさりと「卵というものは立つものなのである。」と言い放ち、その根拠を科学的に解明してみせる。そして、最後に「私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。」と締めくくる。

思い込みというのは恐ろしいものである。
思い込みのせいで、可能性を狭めていることはたくさんあるだろう。思い込みを外して多角的にものを見ることはすべてにおいてとても大事だ。


by katayama_t | 2018-02-04 21:14 | Life | Trackback | Comments(0)
ブログ再開?

2016年10月3日の記事を非公開から公開設定にした。2016年9月に父が死んでから気がつけば1年以上もブログの更新をしていなかった。正確には死んだ直後に非公開設定で、自分の私的メモとして少し文章を書いたのだが、それきり何も書けなくなった。……というよりは、文章を書くことに興味がなくなった。確かなことなど何も無いし、言いたいことも特に無い。自分は今までどうしてこんなに文章を書いていたんだろうと不思議に思う。今は人に読んで欲しいともあまり思わないし、今までの記事をすべて削除するか非公開設定にしようかとも思ったが、過ぎ去ったことにこだわるのも馬鹿らしいのでそのままにする。なんとなくいろんなことが一区切りついたような気がする。これからは私的なメモとして何か書くかもしれないし、書かないかもしれない。

d0094333_22362980.jpg


by katayama_t | 2018-02-03 22:41 | Life | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
カテゴリ
以前の記事
2018年 08月
2018年 07月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 08月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
Link
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


View my profile