Katayama Takatoshi Weblog
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久しぶりのスプーン作り
材料はまだたくさんあるけど、そろそろ飽きてきたので、今回はこの辺でおしまい。数年前にたくさん作ったスプーンを家で使っていたが、頻繁に使うものと、まったく使わないものがはっきりと分かれて、何がポイントなのかということが少し分かってきた。今回は前回よりも確実に進歩しているのが自分でも分かる。

凹面は丸鑿で彫ったそのままにして、凸面はやすりをかけてステンレススプーンの裏で磨いて艶出し。最後に荏胡麻油を塗って仕上げ。

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by katayama_t | 2018-02-24 18:19 | Art | Trackback | Comments(0)
プロとアマチュアの違い
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アマチュアとプロの違いについて考える機会があったのでメモ

プロフェッショナルという言葉には2つの意味がある。
単純にその仕事で得た対価で生活ができているかどうかを言う場合と、その仕事に対する姿勢の厳しさを指す場合の2つだ。もちろんその2つが両立している場合も多いとは思うが、両立しない場合も相当数あると思う。もし生活の糧を得られていないというだけで、プロではないとするならば、芸術家の多くはプロではないことになってしまう。皆が知っているあのゴッホだって生涯を通じて数枚しか絵が売れなかった。

プロフェッショナルという言葉の対義語としてアマチュアという言葉がある。この言葉にも2つの意味があり、1つは「素人」、つまり未熟でその仕事に必要な技術をマスターしていない者を指す。そしてもう1つは「愛好家」という意味だ。愛好家というとつまり素人のことだと考える人もいるかと思うが、この2つはまったく違う。

アマチュア(amateur)という言葉は、イタリア語のアマトーレ(amatore)を語源としていて、これは愛するという意味のamareから派生した言葉だという。つまり、アマチュアという言葉は本来何らかの対価を得ることを目的とせずに、好きだからやる、愛に導かれてやるという意味だ。それに対してプロフェッショナルというのは、仕事に対する姿勢や、得られる金額のことを指していて、その仕事が好きか嫌いかは関係ない。

プロフェッショナルという言葉も、アマチュアという言葉もこれらの意味を区別しないで使っているからややこしくなるのではないかと思う。この2つの言葉を対義語としてとらえるのも間違っているのではないか。だから最初に書いた「アマチュアとプロの違い」という問いも、その問いの立て方自体が間違っている。

本来的に商業と深く結びついているデザイナーという職業ならともかく、芸術家なんてものは、その仕事が好きだという動機に導かれてやるものであって、それで生活ができるかどうかは本来副次的なものであるはずだ。

あくまでも副次的な結果としてたくさん収入があるかもしれないし、まったく収入が無いかもしれないが、それは作品の価値とは関係が無いのだ。

芸術という概念は19世紀以降にできた。それまで絵画や彫刻は誰かの依頼によって作られていた。だから画家や彫刻家というのは「職業」だった。

だが今は違う。先日知り合った染織家が、若い頃に有名な染色作家に弟子入りを申し込んだところ、「まずは他に仕事を確保しろ、この仕事では食えないから」と言われたそうだ。芸術家というのは本来そういうものなのだ。

by katayama_t | 2018-02-19 21:49 | Art | Trackback | Comments(0)
生きている気がするように

昨年まで毎日畑仕事をしていた隣に住んでいる少々呆けてきた90歳のおばあさんが、「毎日外に出て仕事をしていないと生きている気がしない」と言っていた。

材木屋の江沢さんは、土日だろうが祝日だろうがいつ行っても仕事をしているので「一年中休みなしなんですか?」と聞くと、「俺は馬鹿だからよう、仕事してないと何もなくなっちゃうんだよ」と言っていた。

今までは、「凄いな……、自分にはできないな。」と思っていたが、自分も気がつけば毎日身体を動かして仕事をしていないと生きている気がしないし、身体を動かしているだけでは物足りなくて、何かを作っていなければ生きていけない。いつの間にかそうなっていた。休日は休みの日では無くて生きるために仕事をする日になっている。

いつからだろうと思い返してみても分からないが、はっきりと自分に対して驚きをもって自覚したのはこの時だったかなと思い出す出来事がある。

昨年の8月にミラノの素敵なトラットリアで小野寺さんとその妹と三人で飲んでいたときに「明日ベネチアに行くので一緒に行きましょう!」と誘われたがちょと迷ってから断った。一緒にいてとてもとても楽しかったし、たぶん一緒に行けば楽しく過ごすことができたと思う。でも、早く制作をしたいという思いのほうが勝った。レジデンスプログラムで滞在しているギッファに戻ってとにかく何か作らなければ自分が自分で無くなるような気がした。今まではこんなことはなかったように思う。好きな人の誘いを断るなんてことはあり得ないし、結果はどうあれ流れに身を任せていた。自分の未来の可能性を狭めるようなことをすることはまずなかった。

この時にはっきりと自分は変わったのだと自覚した。自分でも少し驚いたが、たぶんこの時にいきなり変わったわけではなく、今までは見て見ぬふりをして無理をして人付き合いをしてきたのかもしれないとも思った。

日常的に何かを作っていないと、どんなことであれ本当に楽しむということはもうできない。ひょっとしたら昔からそうだったのかもしれない。ようやく自覚しただけなのかもしれない。

ネットに接続すればいろんな情報が飛び込んでくる。でも今はそのほとんどがどうでも良いように感じる。それでも沖縄問題や原発問題、人の尊厳の問題など、無視できない問題はあるが、アートとかデザインとか、クラフトとか、暮らし? とかもうどうでも良いのではないか。そんなことを言っている余裕のある人は盲目だ。問題はそんなところにはない。もっと切実で自分ではどうにもならないところに本当に向き合うべき事はある。そこに向き合うことが生きているということなのだと思う。

写真は先日もらった山桜を彫ったもの。お玉は時間がかかったけどスプーンは楽勝。すぐにできる。



by katayama_t | 2018-02-12 18:04 | Life | Trackback | Comments(0)
親がいなくなって気づいたこと
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この数年間、自分は精神的にずいぶん乱高下していたような気がする。この数年で何があったのか冷静に思い返すと、2013年に妻の母親が同居後1週間で亡くなり、2016年に私の父親が亡くなり、2017年には同居していた妻の父親が亡くなった。私の母はずいぶん前から認知症がひどく短期記憶をまったく保てない。世の中にはひどく虐待されて育った人もいるから人にもよると思うが、親というのは何があっても無条件で自分の味方をしてくれる唯一の存在なのではないかと思う。そういう人がこの世から居なくなるということは、やはり大きな損失だったのだと思う。

何もしてくれなかったと思っていたが、親の期待や呪縛がなかっただけでもずいぶんと恵まれていたのではないかと今は思う。いま自分の存在を肯定できているのは親に捨てられるという心配をせずに育ってこられたからではないか。そして、それが親が子どもにできるほとんど唯一のことなのではないかと思う。自分を肯定することができれば生きていくのはそう難しくない。


by katayama_t | 2018-02-07 21:20 | Life | Trackback | Comments(0)
立春の卵
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中谷宇吉郎の「立春の卵」の話は野口三千三先生から教わった。
とても面白い話で、「立春に卵が立つ」という新聞紙面を賑わした与太話を、あっさりと「卵というものは立つものなのである。」と言い放ち、その根拠を科学的に解明してみせる。そして、最後に「私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。」と締めくくる。

思い込みというのは恐ろしいものである。
思い込みのせいで、可能性を狭めていることはたくさんあるだろう。思い込みを外して多角的にものを見ることはすべてにおいてとても大事だ。


by katayama_t | 2018-02-04 21:14 | Life | Trackback | Comments(0)
ブログ再開?

2016年10月3日の記事を非公開から公開設定にした。2016年9月に父が死んでから気がつけば1年以上もブログの更新をしていなかった。正確には死んだ直後に非公開設定で、自分の私的メモとして少し文章を書いたのだが、それきり何も書けなくなった。……というよりは、文章を書くことに興味がなくなった。確かなことなど何も無いし、言いたいことも特に無い。自分は今までどうしてこんなに文章を書いていたんだろうと不思議に思う。今は人に読んで欲しいともあまり思わないし、今までの記事をすべて削除するか非公開設定にしようかとも思ったが、過ぎ去ったことにこだわるのも馬鹿らしいのでそのままにする。なんとなくいろんなことが一区切りついたような気がする。これからは私的なメモとして何か書くかもしれないし、書かないかもしれない。

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by katayama_t | 2018-02-03 22:41 | Life | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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