Katayama Takatoshi Weblog
けもの道トレッキングと桃源郷
先週の11日(祝)に長南町が企画した『けもの道トレッキング』に行ってきた。昨年の11月から合計3回開催しているが毎回申し込みが殺到して、今回も募集人数20名のところ225名の応募があったというから、『今狩猟が熱い!』……というかなんというか。「どうして?」という思いが強い。自分はトレンディ路線ではないと思っているが、なぜかいつも気がつくとトレンドの中にいる。今回も「またか」という感じがしなくもない。

まあ、それはさておき、当日は朝10時に現地集合。現場近くのコミュニティセンターで千葉県の害獣駆除についてのレクチャーを受ける。農作物の被害額や、捕獲数など各種データの他に、動物の種類の見分け方や、被害の実例、センサーカメラが捕らえた貴重な映像なども見られて、千葉県における害獣被害の現状について分かりやすくまとめられていてとても勉強になった。ちなみに千葉県の獣害による被害額は全国的に見たら中くらいで、それでも平成26年度1年間で2億8000万円というから甚大だ。特にイノシシの被害が深刻で、何らかの対策を講じなければ今後も拡大傾向。しかし、イノシシの数が増えるのと反比例するように狩猟者の数が減り、高齢化も進む中、危機感を募らせて、今回のような催しを行っているというわけだ。
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お昼をはさんで、午後はいよいよイノシシや鹿などが出没するエリアへ出かけていった。そこかしこにある鹿や猪の被害を見ながら箱ワナや括りワナの説明を受けて、あちらこちらのポイントを見学。『けもの道トレッキング』というからハードな山歩きを想像していたが、歩きにくい箇所はほとんどなく、普通の服装で難なく歩ける。天候にも恵まれてとても良い散歩になった。
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そしてそして、今回まったく予期していなかったが、山の景色が本当に美しい。鋸南町は水仙の産地で今の季節は山の斜面一面に水仙が咲き乱れている。感動しっぱなしで、隣を歩いていた方に思わず「きれいですね……。」と話しかけると、「本当に……。まるで桃源郷のよう」と返ってきた。自分だけではなく、皆歩きながら陶然としていたように思う。
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今回参加して本当に良かったと思うのは、狩猟に関する知識を得られたこともさることながら、桃源郷に行ってきたという実感が心の中に余韻としていつまでも残っていることだと思う。一面の水仙の中を歩くと地面から吹き出した生命が空間を満たしている感じに圧倒され胸が一杯になる。花の中を歩くことがこんなにも素晴らしいとは今まで知らなかった。
# by katayama_t | 2016-01-18 22:59 | Life | Trackback | Comments(0)
正月を家で過ごす
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ようやく親の手が離れて正月を自宅で過ごせるようになった。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観たのは20年ぶりくらいだろうか。今年の指揮者はマリス・ヤンソンス。良い人なのだろうなとは思うけど、北千住あたりを普通に歩いていそうな華のない指揮者だ。比較するのも気の毒だが、その昔カラヤン指揮のニューイヤーコンサートを観た時の高揚感が懐かしく思い出される。カラヤンという人は権威が好きで、その世俗的な性質によって、嫌う人は「大嫌い!」という指揮者だが、それでも「帝王」と呼ばれるにふさわしい堂々とした風格があるし、好き嫌いはともかくとして演奏も素晴らしい。私も昔はカラヤンの俗っぽさが嫌いで演奏も毛嫌いしていたが、聴いてみるととても良いものがある。特にシェーンベルクの「浄夜」をはじめとする新ウィーン楽派の録音は、学生時代に一番よく聴いた思い入れのあるレコードだ。

来年は指揮者にグスターボ・ドゥダメルを迎えるという(!)。ちょっとびっくり。カラヤンが活躍した時代とは隔世の感があるが、それだけにとても楽しみ。今までにない楽しい演奏になるだろう。

ニューイヤーコンサートは、子どもの頃から好きだったが、自分で作品を作るようになってから聴くとまた格別の良さがある。普段は難しい聴衆を相手に難しい楽曲をやっているオーケストラがこの時ばかりはウィンナ・ワルツを演目として難しい事は抜きにしたお祭りをやる。指揮者や楽団員が実に楽しそうに演奏している姿を見ると「音楽というのは本来こういうふうに楽しいものなんだよな」と思わせられる。

そういうコンサートを、今、自分が個展を行うようになってから観ると、とても羨ましく感じる。個展はいつも真剣勝負なので精神的にも肉体的にも追いつめられるが、ふと我に返ると「美術ってもっと自由で楽しくて良いはずだよな……」という想いがわき上がる。たまには誰に気兼ねする事もなく、ただひたすら楽しいだけの美術もやりたい。具象彫刻やデッサンなどでニューイヤーグループ展なんてどうかな。
# by katayama_t | 2016-01-02 22:16 | Life | Trackback | Comments(0)
重田先生のこと
21日に中村公紀展の初日に行ってきた。
会場でかるくワインを飲んでから美味しくて楽しい日本酒の店へ行き、一昨年亡くなった藤岡の話から、話題は学生時代に酒を飲んで無茶をした話に移っていった。

当時の学生はほとんど卒業研究などやらずに遊んでいた。学生にもよるけど、酒を飲んで馬鹿ばかりしていたように思う。大学というものをなめていたんじゃないかな。私も学生時代は大学をなめていたし、今でも大学なんてたいしたところじゃないと思ってるけど、行って良かったと心から思えるのは、行かなければ出会えなかったような人たちに出会えたからだ。出会いたくない人たちもたくさんいたけど、出会えて本当に良かったと思える人もごくわずかにいる。中でも故三木成夫先生は、時間的には短い付き合いだったけれども、私が母校で唯一「先生」と呼びたくなる人だ。人が人に教えられる事なんて実はほとんど無い。知識なんて本を読めば良いし、学ぼうと思えば世界には膨大な量の知識や思想の積み重ねがある。

それでも人からしか学べないことはある。それはその人が持っている知識や経験などではなく、人としての生き方や姿勢のようなものだ。素晴らしい人との出会いは、ほんのわずかな時間を一緒に過ごしただけでも、その人の心性や人格というものが深く心に刻まれる。そういう人に出会えたのはとても幸運で幸福なことだ。

私が、大学や、大学の先生や「芸術」というものにほとほと嫌気がさして、もう金輪際関わるまいと思って大学院を出て、それでもまた大学というつまらない組織に関わることになったのも、そこに尊敬できる人との出会いがあったからだ。

「大学でデザイン学科の学生達にものづくりの方法について教えてくれ、常勤だから安定してるぞ」などという、まったくばかばかしい申し出を断り続けて、最終的に、「件の教授が会いたがっている。」と言うから、「なぜこちらから出向かなければいけないのだ!」と内心腹を立てながらも、これで縁が切れるならと思って、わざと遅刻しながら渋々その方の住居兼アトリエのある中野まで会いに行った。そして、まったく予想しなかったことだが、1時間もしないうちに私は軽い感動と共に首を縦に振っていた。この人の為なら多少の寄り道をしても良いと思ったし、むしろこの人の為に何かしたいとさえ思ったからだ。まったく偉ぶったところがなく、私のような無遠慮な若輩者にも「人対人」として実に誠実に対応してくれた。こんな大学の先生もいるのだということが驚きだった。

その方が22日に83歳の生涯を終えた。愛する人たちと自分の描いた絵に見守られながら静かに自宅のアトリエで永眠されたそうだ。

今にして思えば、彼の導きがあったからこそ、自分は人間としての幅が少しは広がったように思う。こういう出会いが無ければ自分は相変わらず偏屈で棘だらけの付き合いにくい人間のままだったように思う。

自分は彼にちゃんとお礼を言ったことがあるかな? とふと不安になる。彼の元で働きだしてからも私は相変わらず、人と対立することを厭わない権威嫌いの不躾な若者で、迷惑しかかけていなかったような気もする。「お礼を言う前に他界してしまった。」というやり場の無い気持ちを抱えて、今、ただ呆然としている。
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# by katayama_t | 2015-12-26 09:19 | Life | Trackback | Comments(0)
生活をするということは
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薪ストーブを使い出して今年で13年目。ようやく薪割りのコツがつかめてきた。以前は丸太の年輪に直交するように斧を当てて、丸太が真っ二つになるように力一杯振り下ろしていた。ばかばかしい話だが丸太に真剣勝負を挑んでいたのだ。そんな力任せにせずに年輪に沿って皮をむくように斧を当ていけば楽に割れるのだが、どこかズルをしているようでやろうと思わなかった。それが先日から急にそれをズルだと思わなくなった。

山から丸太を下ろす時にも、今まではまるで修行のように気合いを入れながら重い丸太を一つずつ腕で抱えて山を下りていたが、これもロープと網を使って制御しながら斜面を転がすようにしたらものすごく楽になった。
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今までどうしてそうしなかったのだろうと考えると、今まではたぶん「生活」になりきっていなかったのだと思う。薪割りの達成感や、肉体労働後の心地よい筋肉痛、その後の入浴や飲酒を楽しんでいた。それは悪いことではないが、どこか観光客的で地に足が着いていなかったように思う。

生活をするというのはそういうことではない。生活をするということは、妥協し、負けることだ。そうして日常的に続けていくことだ。それは一見地味でかっこわるい。でも本当は地味なほうがかっこいいのだ。きっと。たぶん。
# by katayama_t | 2015-12-20 23:25 | Life | Trackback | Comments(2)
日本語が亡びるとき:水村美苗
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著者にファンレターを書きたいと思ったのは初めてだ。知的で過激な文章。晴れ晴れとしたこの読後感……。「読む快楽を与えない文章は文章ではない」と言い切るこの清々しさ。

子どもの頃から評論を読むのが苦手だった。正直言って大学で読まなければならない「論文」もまともに読み切ったことがない。読んだ端から忘れていき、ちっとも頭に入らない。かといって小説も最近のあまりに小説くさいのは食傷気味。思わせぶりな書き出しだけでもううんざりである。

この本は堂々たる評論だが、力のある小説家が評論を書くとこうも読ませるものかと驚いた。抑制が効いていて、言いたいことはさらりと過激にユーモアを込めてしっかりと言う。文章がうまいというのはこういうことを言うのだよな、と改めて思った。

久しぶりに知的で読む快楽を与えてくれる日本語を読みたくなった。漱石でも読もうかしら。
# by katayama_t | 2015-12-14 21:07 | Life | Trackback | Comments(0)
人の多面性について
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桐野夏生のグロテスクを読んだ後、じわじわとダメージが来ていて、そのもやもやした感じを晴らすべく続けざまに「東電OL殺人事件」を読んだ。これは、小説の題材になった事件を描いたノンフィクションだ。

最初は、感動の押し売りみたいな陳腐でつまらぬ文章だなと思いながら読んでいたが、いつの間にか引き込まれていった。事実の力はすごい。小説は人が作ったものなので矛盾は無いが、実際の人間は矛盾だらけだ。人の行動をどんなに的確に理由付けしてみたところで、それでもなお、「どうして?」という思いは残る。おそらく人間には当の本人にも分からない衝動というものがあって、それがその人の行動を決定づけているのだろう。どんなに想像力を働かせてみたところで結局は「解らなさ」が残る。

「人間は黒か白かだけで判断できるほど生やさしいものではない。だからこそ人間は面白いのだ。」という一文が端的に示しているように、人間は誰でも多面体だ。
聖人扱いされている人物でも人間である以上実際には様々な面があるはずで、ある面から見てみれば決して褒められた人間ではないだろう。それを1つの面だけ強調して理解しようとするのは、人々の願望であって、結果としてその人を平板なつまらぬ人物に見せているのではないだろうか。

事件被害者の東電OLは父親を過度に尊敬するあまり、父の死がその後の転落の引き金になったという見方が有力だ。だとしたら、彼女は最後まで子どものままで自分の人生を生きていなかったのではないか。父の嫌な面には目をつむり尊敬できる面だけを強調して見ていたのではないか。しかし、立派なだけの人間などいない。人には様々な面がある。そのことを了解してなおかつ人は面白いと思えることが大人になるということなのかもしれない。

今日、葉山の美術館に行く道すがらそんな事を考えていた。美術館では若林奮展をやっていて、美術館の外では鳶が輪を描いて飛んでいた。人間の欲の世界とはまったくかけ離れた静謐な時間が流れていたが、素晴らしい美術家といえども美術館で見せているのはその人物のごく限られた一面でしかないのだろう。
# by katayama_t | 2015-12-10 23:54 | Life | Trackback | Comments(2)
世代交代の速度と社会が変わる速度
夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法に違反するかどうかについて、最高裁判所大法廷が来週、判決を言い渡すらしい。

夫婦別姓が認められるようになるのは時間の問題だと思うが、NHKが先月行った世論調査では、「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」という答えが50%、「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」が46%で賛否が大きく分かれている。もうとっくに別姓容認派が多数だと思っていたのでちょっと意外だ。

いったいどういう人たちが別姓に反対しているのかと思うが、その内訳を見ていると実に興味深い。20代から50代までは「選べるようにするべきだ」という回答がいずれも6割を超えているが、60代はほぼ同じ割合で、70代以上になると逆に「同じ名字を名乗るべきだ」という回答が70%近くになり、世代によって答えが大きく異なっている。
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「なるほど、育った時代が違うからなあ……」となんとなく思っていたが、たまたま今日の夕方にNHK-FMでやっていたクレイジーキャッツの歌を聴いて、腑に落ちた。

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私だけが あなたの妻
丈夫で長持ち 致します
テナコト言われて ソノ気になって
女房にしたのが 大まちがい
炊事せんたく まるでダメ
食べることだけ 三人前
ひとこと小言を 言ったらば
プイと出たきり ハイ それまでヨ
フザケヤガッテ フザケヤガッテ
フザケヤガッテ コノヤロー
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「ハイそれまでよ:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

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新婚時代は 暴君で
あげ膳すえ膳 ねぇ貴方
わたしとっても まったく 本当に幸せよ
とかなんとか 云われたもんだが
今じゃ 子守に皿洗い

コラ又 どう云う訳だ
世の中 間違っとるよ
誠に 遺憾に存じます
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「遺憾に存じます:ハナ肇とクレイジーキャッツ」

「丈夫で長持ち致します」って奴隷かよ! と突っ込みたくなるし、今どき子守に皿洗いくらいはやって当たり前だが、今の70代の方々が結婚適齢期の頃には、女性は家に入るのが当たり前で、こういう歌詞が違和感なく社会に受け入れられていたということだろう。そういう方たちが夫婦別姓反対と思うのも無理からぬ事だと思った。世代が変わる速度に応じて社会が変化していけば良いのだが、今は明らかに世代交代の速度よりも社会が変わる速度のほうが早い。もっともいつの時代もそうなのかもしれないが。
# by katayama_t | 2015-12-08 23:22 | Social | Trackback | Comments(0)
調理用薪ストーブの開発
荒牧さんが毎週末に我が家の庭で調理用薪ストーブを開発すべく実験を繰り返している。

世間では薪ストーブが流行っていて、特に都市部では「通販生活」の後押しもあって木質ペレットを燃料とした暖房用ストーブがかなり売れているらしいが、どこかハイソな(もしかして死語?)イメージがあり、貧乏人には縁の無い世界のような雰囲気がある。そもそも燃料を作ったり運んだりするためにエネルギーを使うというのがもうダメ。結局買い物をしつづけるのか……、という徒労感がある。

もっと単純に、生活に必要なエネルギーは輸入品の石油を買って使うなんてことをせずとも、都市部以外では生活圏内に有り余る木質燃料を使えば良いのではないかという発想から、まずは日本の夏でも使える調理に特化したストーブを作ろうとしている。これはハイソなイメージがないし、貧乏くさくもない。地に足の着いた研究と言えよう。

火力調節や排煙など課題は多いが、本当に使えるものができたら我が家でも導入を考えようと思う。
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# by katayama_t | 2015-12-06 22:30 | Trackback | Comments(0)
猫とお酒とストーブの火
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たくさんの人を相手に仕事をするととても消耗する。人の感情や意志が自分に向かってくる感じがとてもキツイことがある。まともに受け止めなければ良いのかもしれないが、人を相手にしながらそこに関係性が無いのなら何を話しても会話は成立せずまったく無意味だと思う。とはいえキツイ。
しばらく緊張がほぐれずもう人に会いたくない感じになるが、猫は別だ。猫は自由だ。自由だから重荷にならない。自由に家に出入りして、道路を走って渡り、時々鳥を捕まえて食べる。とても幸せそうだ。道路を渡るのはとても心配で、車に轢かれたらショックで立ち直れそうにないが、それでも、この自由を束縛してはいけないと思う。

人間は猫とお酒とストーブの火があればとても幸福になれる。
# by katayama_t | 2015-12-01 22:51 | Life | Trackback | Comments(0)
火のある暮らしとやきものとの関係
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土曜日に野焼きをした直後に、学園の子どもたちから「またやりたい」の声があがった。またやりたいと言われても、1日がかりで大変な労力がかかるのでそう簡単ではないが、一度やると次はもっとこうしたいという展望が開けてすぐにまたやりたくなる気持ちもよく分かる。

野焼きでなく、もっと簡単にできる方法は無いかと考えてみたら、我が家では毎日風呂釜やストーブで火を燃やしているので、やろうと思えばその中でやきものを作ることができるのではないかと思い当たった。普通の家では薪ストーブや薪の風呂釜は無いかもしれないが、それでも工夫すれば七輪などでも焼けるはずだ。

しかし、ある程度の数を一度に焼こうと思ったら、一番効率の良いのは結局陶芸用の窯を作ることではないだろうか。いつかはやらねばと思っていたが、そろそろ1200度以上温度が上げられるような窯の設計を考えてみるか……。

こうして家の完成がまた遠のいていく。
# by katayama_t | 2015-11-30 21:24 | Life | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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