Katayama Takatoshi Weblog
Cold
昨日は35日ぶりの雨。乾燥して喉が痛かったのでちょうどいい。しかし、今朝から急に冷え込んできた。外は風の音。こんな日は暖かくしてゆっくり過ごそう。
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# by katayama_t | 2006-10-23 10:38 | Life | Trackback | Comments(0)
日本の食卓
なにはともあれ和食である。海苔は韓国海苔で、茶碗はやたらとでかいが、味噌と梅干しは日本の自家製で出汁も日本から送ってもらったものだ。文句なしにうまい!

「郷にいれば郷に従え」という言葉がある。私もこれまでは漠然とそりゃそうだろうと思っていたが、自分の身に降りかかるとそんなに簡単ではないということがよくわかった。仮に私が「辛いもの好き」であっても、ほとんどのものが辛く、それが毎日続くとなると、単に「辛いものが好き」というようなノリではやっていけないのだ。
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# by katayama_t | 2006-10-22 10:35 | Life | Trackback | Comments(0)
教育のことなど考えたりしてみる
「教育基本法改正」シンポジウムの案内として、下の文を含むメールをもらった。

----------------以下メールからの抜粋
…今国会で最重要課題となっている教育基本法改定案では、「学問の自由」をうたった第二条「教育の方針」が削除され、その改定版として書かれた第二条には「国を愛する・・・態度」がを含む「教育の目標」が掲げられ、その「目標」のもとに、第7条「大学」の条文が新設されています。そこには「学問の自由」はなく、「社会の発展に寄与」することが求められています。……

…日本の教育支出はOECD諸国で最低レベル(特に大学はだんとつ最低!)、さらに予算を削りながら、小学校から大学まで競争させ、子どもも学校も勝ち組負け組に振り分けられていく? 「国を愛する・・・態度」をABC評価? 教育の「国民全体に対する責任」を削除? 今、国会で審議中の「教育基本法改正」で何がなされようとしているのでしょうか?…
----------------ここまで

世の中がそういう方向に向かっているということは知っているし今さら特に驚きもないが、人ごとではないので少し調べてみた。
もしかしたら何か良い面もあるのではないかと思って調べだしたのだが調べれば調べるほど暗澹たる気持ちになる。大部分の国民にとってはどう考えてもこのまま改正して良くなることはないように思う。

いろいろ見てみると、どうやらこの改革は1980年代イギリスのサッチャーによる教育改革がモデルになっているらしい。この改革の柱は2つあり、1つは旧植民地支配の反省から出てきた行き過ぎた「反人種差別教育」の撤廃で、具体的にはそれまで教師の自主性に任せてきた教育内容を国が管理できるようにしたこと、その中には教科書の指定も含まれる(それまでの教科書はイギリスが植民地支配においていかに酷いことをしてきたかということを強調するような記述が多かったらしい)。
もう1つは基礎学力の向上だ。それには教育現場への競争原理の導入ということで対処した。
http://www.melma.com/backnumber_115_1126696/

なるほど、今の日本の教育改革とよく似ている。しかし、その中身をよく見てみると教師の自主性を重んじない教育内容の強制で、教育現場は疲弊しているという報告もあるし、基礎学力の改善に至っては、そもそもどの程度のことを言っていたのかというと、例えば中学生で自分の名字を正確に書けない子どもがいるとか、ほとんどの男子が(なぜ男子なの?)「Secondary」のスペルが書けないとか、2/3が九九を知らないとかいうものだ(笑)。これは移民(英語を母語としない)の多いイギリスの抱える問題でもあったのだが、この程度のことは日本はすでに達成しているし、そもそもこの改革自体が「教育は国家が責任を負う」という日本の義務教育制度をモデルとしたもののようなのだ。

で、この改革で基礎学力が改善されたのかというとネットで見た限りでは両方の見解があってよくわからないのだが、最近になって様々な弊害が報告されてきているようだ。それは端的に言うと競争原理の導入による教育の荒廃である。
国からの教育内容の強制によって教師のやる気を削ぎ、また学校の格付けによって「良い学校」と「悪い学校」に分かれ、良い学校の周辺には裕福な中産階級家庭が引っ越してきて結果地価が高騰する一方、悪い学校は解体され教育局の指導の元、スタッフも一新するのだという。様々なプレッシャーで校長の辞職が相次ぎ、全国で推計1300校もの小中学校で校長が不在になっているとの報告もある。ここでいう良い学校っていうのは、良い教育ってことではもちろんなく、テストの成績が良いということに過ぎない。

まあこんなところで私ごときが言うまでもなく、不用意に今の教育改革を実行すれば日本も同じように教育の荒廃を招き、さらなる格差の拡大へと向かっていくことは必至だろう。教育格差の拡大はそのまま経済格差へと繋がっていき、それは固定化されていくだろう。それに対して市場原理に任せれば良い、世の中は弱肉強食だ、格差の拡大は仕方がないという論理もひょっとしたらあるかもしれない。しかし、それが世界の悲惨を生み出していることは間違いがないし、それに、こんなこと言いたくはないが、日本の「ものづくり」が勝ち続けてこられたのは終身雇用制度による組織の結束力のたまものだったのではないのか?と思うのだ。

念のために言っておくが私は終身雇用制度をそのまま肯定しようという訳ではない。
なんでもかんでも市場原理に任せればよいとか、ネオリベラル経済学が言うような、競争は根本的に重要だというような命題を自明なものとして議論を始めるのはあまりに単純で短絡でそれを信じるのはあたかも宗教を信じるようなものなのではないのかと言いたいのだ。どんな制度にも良い面と悪い面がある。
いずれにせよ何が今の日本にとって最適なのかということをよく見極めていく必要はあるだろう。そのためにもこんな大事なことをさっさと決められてしまっては困るのだ。なんだかこう書くとあたりまえすぎて恥ずかしいが(笑)。

この文章を書くにあたり主に下記URLを参照しました。
http://10nin-iinkai.net/syushi.html
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061018/mng_____tokuho__000.shtml
http://hideyukihirakawa.com/blog/archives/200610/122338.php
http://kyojo9j.nsf.jp/reports/
# by katayama_t | 2006-10-19 22:43 | Social | Trackback | Comments(0)
他者の痛みを感じられるか
友人から面白いからと下記のURLが送られてきた。実は以前一度見たのだが、内容を忘れているのでもう一度見てみる。

アート&テクノロジーの過去と未来
高橋悠治+茂木健一郎:公開トーク『他者の痛みを感じられるか』
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20051217/

う〜むう…。あらためて見てもやはりすごいな(笑)。茂木健一郎っていう人にはあまり共感を持ってないけど、それでもちょっと気の毒になるくらい高橋悠治はとらえどころがない。徹底して作る側からの視点のみでものを言っている。我が道を行くって感じで、最後まで話がかみ合わないまま行きつ戻りつだ。

高橋悠治の言う「美しいか、美しくないかというのは結果であって、作る側の論理ではなく、作る時には何の役にも立たない。作るときは面白いか、面白くないかだけだ。」とか、美しいというコトバでものを評価しようとする評論に対する批判などはすごく共感する。
また、何でも経済に還元されてしまうことが一番の問題というのもまったくそのとおりだと思う。成果主義や給料の額でランク付けするなんてのも正気ではないと思う。

でも、あえて生活者の立場から下世話なことを言うと、だからといってどうしろってんだ?とも思う。いくら批判したところでお金が無ければ生活できないし、お金を得るにはこのシステムの中で得るしか方法はないのだ。現実問題として何かクリエイティブな仕事をする場合、○○コンクール金賞とかいう肩書きに加えて△△美術大学教授なんていう肩書きでも無いと続けていくのは非常に困難だ。中でも美術なんてのは一番成り立ちにくい分野だろう、特に彫刻なんてのは極めつけだ。さらに言えば彫刻の中でもインスタレーション的な作品、つまり売買できないような作品を作り続ける為にはどっかから助成金をもらうか、別に食いぶちを確保するかだ。資産家の娘と結婚するとか(笑)。

…まああまり言うと単なる愚痴になるが、とにかくこの世の中の全ての事象は経済で成り立っているし、近年それが顕著になってきたということは事実だ。そして高橋悠治が言うように、これは1つの文明が衰えていく過程だというのもおそらくその通りだろう。
そして、今必要なのは、今までのヨーロッパを中心とした上下関係の論理や全てが取引関係に還元されるような論理から、水平的な結びつきでネットワークが繋がっているというような関係からある種の論理を生み出すことなのではないか、というのもまったくその通りだ。全面的に同意する。

しかし、しかしだ!
現実的にどうやって生活していくかという時に必要なのは、どこで妥協するかという見極めだ。そして根本的な部分で大きな矛盾を抱えながらやっていくしかないのだ。

もちろんそんなことは分かっていながらの話なんだろうけど。そして、そういう現状だからこそ変革が必要なんだろうけどね。でも現状を批判しながら現状のシステムに荷担せざるを得ないってのはすごくしんどい。正気を保つだけでも大変なのだ。
そうだ、どっちみち手を汚すのなら、いっそゴルバチョフみたいに頂点まで上りつめてトップダウンで一気に革命とかっていいかも(笑)。
# by katayama_t | 2006-10-18 23:30 | Social | Trackback | Comments(0)
海へ
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自転車を買った。ギヤ付きで折りたたみ式のマウンテンバイクもどきだ(笑)。一番近いTourist Info.で地図をもらい、さっそく川沿いを走った。
自転車は中古だけどよく整備されていて快適だ。このままずっと川沿いを走っていけば海に出るんだよな、と思ったらなんだか無性に海が見たくなってしまったがここは内陸部だ、海まで日帰りは無理だろう。でも寒くなる前に一度遠出をしよう。海を見に行こう。
# by katayama_t | 2006-10-15 19:37 | Life | Trackback | Comments(0)
学校ぎらい
小さい頃から学校には馴染めなかった。
幼稚園に行く意味がわからず、時々行くふりをしてさぼった。あるとき近所の子どもたちを誘ってさぼろうと画策したが結局皆行ってしまい、私は一人で遊んでいるところを近所のおじさんに見つかり無理矢理連れて行かれた。行ってみるとその子たちは楽しそうにブランコに乗ったり、砂場で遊んだりしていたのだが、私には遊具というものの楽しさがわからず、「なんだつまらん連中だな」と思ったことをはっきりと覚えている。

ほとんど口も開かなかった。そんなことだから当然友人はできない。人と友と言える関係が結べたのは高校に入ってから音楽を通じてだ。そして高校卒業後に美術をやるようになり初めて複数の友人ができた。

実のところ私は学校に行く意味もそこで勉強をする意味も未だによくわからないでいる。そして、ここは自分がいるべき場所じゃないといつもいつも感じながら大学で仕事をしている。
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# by katayama_t | 2006-10-15 02:49 | Life | Trackback | Comments(0)
Discommunication
d0094333_0425377.jpg英語で授業なんてどだい無理な話なのだが、たまには無理をするのもいいかと思い今日はDrawing Skillの授業をやった。結果はやっぱり無理だった。そもそも日本語での授業もまともにできないのに英語でなんて無理に決まっているのだ。それでもけっこう面白がってやっていたので単純に新しいことを覚えるのは楽しいのだろう。
来週はもう少し高度なことをやるのだが、どこまで伝えたいことが伝わるのか難しいところだ。

さて、昨日はめずらしく携帯に電話が2件入った。1件目はalfa/fiatのディーラーで、出るつもりなかったんだけど留守電に長々と録音してるので出てみたら、なにやらとんちんかんなことを言ってた。

修理屋「ひょっとして今海外ですか?」
私「はい」
修理屋「そうですかあ。お車の調子はいかがかと思いまして」
私「いや乗ってないからわからないよ」
修理屋「ああそうですかあ、お車は今どうされているんですか?」
私「駐車場に駐めてます」(そんなこと聞いてどうすんだ?)
修理屋「ああ、そうなんですかあ、象山様はalfa147にも乗ってらっしゃるんですか?」
私「いいえ、でもそちらから147の調子はどうかってDMが届いてたけど…」(くそっ、買えるものなら買ってるさ)
修理屋「ああ、そうなんですかあ、何か行き違いがあったようで申し訳ありませんでした。日本にはもう戻ってこられないんですかあ」
私「正月には戻るつもりですけど」(こやつ何か勘違いしてるな)
修理屋「ああ、それでまた海外に…」
私「はい」(やっぱり誤解してるようだがまあいいや)
修理屋「それではまた何かありましたらよろしくお願いします。」
私「はいわかりました」(おいおい何かって何が??)

ま、何か試乗車が入ったら行ってみるか、買えるわけないから乗ってみるだけだけど。

そして、2件目はなんと親からだった。何事かとびっくり。そして言うことがすごくて2度びっくり。
親「北朝鮮の核実験がすごいニュースになってるけど、そっちはどうなの」
私「うん、やっぱり大きなニュースだよ」
親「みんな何か対策とかしてないの?」
私「対策って?何の?」
親「放射能が来るかもしれないから避難するとかなにか」
私「避難ってどこへ?」
親「そんなことわからないけど、みんな普通にしてるの?」
私「うん、だって何もできないじゃない」
親「でも、何かしたほうがいいんじゃないの?」
私「何かって?」
親「おまえはマスクして歩きな!」
私「(笑いをこらえながら)マスクって何のために?」
親「だから放射能が来るって言ってるから」
私「ああ、そう…(笑いを必死にこらえる)」
親「おまえ笑ってるでしょ?」
私「うん、ごめん」
親「でもほんとに気をつけなさいよ」
私「うん、わかった」
親「ところでおまえは韓国でなにやってるの?」
私「うん、まあ、仕事かな」
親「どんなことやってるの?」
私「…」
その後話がかみ合わないまま長電話に…。国際電話料金こっち持ちなんだけど、とは言えなかったが、まあ、いいか。
# by katayama_t | 2006-10-12 00:46 | Life | Trackback | Comments(0)
正しい休日の過ごし方
こちらに来るまでまったく知らなかったのだが、韓国で一番大きな祝祭日は秋夕(チュソッ)といって、旧盆と感謝祭を合体させたようなものだ。それが今年は先週末にあった。全員が帰郷してレストランも店も全部閉まるのだと聞いていたので食材を買い込んでサバイバルに備えていたのだが、フタを開けてみれば全然そんなことはなく、レストランも店も数こそ少ないが平然とやっているではないか。これはおそらく日本と同じで古い文化の衰退というか、価値観やライフスタイルが多様化しているというか、資本主義が浸透しているということなのだろうと納得した。

なんだか拍子抜けしたのだが、せっかく食材を買い込んだのでこれを機に自炊を始めることにした。なにしろ外で食べるものは何でも辛い、いや辛くない物もあるのだが、そうするといつも同じ物を注文することになってしまう。そのうち「はい、あなたはこれね」って注文する前に食事が運ばれてくるようなことになるだろう。それは避けたい。

全員が帰郷するといっても外国人はどうするんだ?と思っていたら、同じラボのベトナム留学生からパーティーに誘われた。どうやらボランティア団体の主催で外国人を対象にした様々な催しが開かれるらしい。
実はこの休みを利用して私が日本で関わっているNPOの報告書作成という仕事を片付けてしまおうと思っていたのだが、まるで休みに合わせたかのようにパソコンの電源ケーブルが逝ってしまって仕事にならない。
木曜にケーブルが死にそうだったので日本のアップルにSkypeで電話してケーブルを手配したのだが、手配し終わったタイミングで完全に逝ってしまった。…ラッキーなのかアンラッキーなのかわからないが私は人生に於いてこういうタイミングが実に多い。ひょっとしたら他の人もそうなのか?
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こうなったら遊ぶしかないか、ということでまずはベトナム留学生を対象にしたバーベキューパーティーに行く。近隣の4つの大学の留学生が集まり、昼間はサッカーに興じ、夕方はバーベキュー、夜は大学の紹介や歌を歌ったりと賑やかに過ごした。
翌日はまた野外コンサートと立食パーティー。そして次の日はハイキング…う〜むう、これはパス。でもそんなこんなで結果的には家で仕事してるよりもずっと素敵な休日だったのだ。やっぱり人との出会いってのはいいものだな、報告書作成は次の休日でもいいや。
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# by katayama_t | 2006-10-09 23:11 | Life | Trackback | Comments(0)
ジェット機の爆音に思うこと
秋夕(チュソッ)が近いからか、ここ2〜3日夜になると派手に花火が上がっている。民族衣装を着た人たちもちらほら見かけるようになったし、昼間は小型ジェット機が旋回して空に弧を描いていた。音はすれども姿は見えずって感じでやっとみつかるほどはるか上空だったけどすごい爆音。

それで思い出したけど、いつだったか沖縄の嘉手納基地で深夜・早朝の戦闘機離発着の中止を要請してたけどその後どうなったのかなあ、と思って検索してみたら、あらら、まだやってるらしい。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200609191700_01.html
こんなの日本政府がちゃんと動けよ、って思うけど、今の政府ではまあ無理だな。

ジュゴンの海を埋めてヘリポートを建設するという計画も、全国紙やニュースではもうぜんぜん記事を見かけないけど、沖縄の新聞に基地のことが載らない日はない。辺野古では今でも海上ヘリポート反対の座り込みが毎日続いているし、国会前でも毎週2回行われているのだ。

この計画が明るみに出た当時はよくニュースでも取り上げていたが、これは絶滅危惧種に指定されているジュゴンの生息地である沖縄県名護市辺野古の沖合に米軍再編に伴い新たにヘリポートを建設しようという無謀な計画だ。97年に行われた住民投票の結果は過半数が反対というものだったにも関わらず法的な拘束力は無いからと、日本政府はヘリポート建設案をアメリカ側とさっさと合意してボーリング調査などを進めている。それも環境アセスの評価が出る前からだが、これってOKなの?と思って調べてみたら今の環境アセス法ってのは実施段階のアセスで、計画段階に踏み込んでいないとか、このアセスにはゼロオプション(計画中止)がないとか、ボーリング調査が対象になっていないとか、「開発のための免罪符」だと揶揄されてるとか、要するにざる法だとかいろんなことが分かった。

やれやれだ。
# by katayama_t | 2006-10-01 23:29 | Social | Trackback | Comments(0)
知的であるということ
たまに「きっこの日記」を読んでいる。
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
そこで宮田美乃里という歌人を初めて知って、いろいろ検索してたらこのページにたどり着いた。
http://www6.plala.or.jp/fynet/6tokubetu-situ-miyataminori-toko.htm

これってどうなんだ?
私は73番の書き込みがいちばんすっきりしていて共感がもてたが、それはやっぱり私が自分勝手だからか?
よく言われるように、「自分の命さえ自分だけのものではない、残された人のことも考えろ」っていうのは確かにそういうこともあるだろう。宮本輝の「幻の光」にあるように最愛の人がある日突然何の前触れもなく自殺してしまうなんてことになったら、残された人はとても耐えられるものではないだろう。きっと自分がからっぽになってしまうほどの喪失感に生きる気力も失せると思う。
だけど、宮田美乃里さんの場合は最愛の母も自分のことを理解しているというのだ。これ以上何も知らない他人がとやかく言えるのか?と単純に思う。それにこれは自殺ではない。よりよく生きようという彼女なりの選択だ。

さらに言えば、仮にもしこれが自殺だったとしても、私は自殺が悪だなどと言うつもりもない。
苦しいだけの人生を送っていて、これからも好転する見込みのない人に対していったいどんな理由で自殺するな、なんて酷いことが言える?

それに関してはショーペンハウエルが「自殺について」の中で実にまっとうなことを言っている。
「・・・一体誰にしても自分自身の身体と生命に関して程争う余地のない権利をもっているものは、この世にほかに何もないという事は明白ではないか。」
すばらしい…。さすが哲学者だ。
一見自殺を肯定しているように見えるが、こう書きながら彼はどちらかというと自殺には否定的だった。そう、まず事実は事実として認めるという態度なのだ。
知的であるということはこういうことなのだと思う。この本が出版された当時、ドイツではこれを読んで自殺した人が多発したそうだが、それは誤読だ(もっとも人生は誤解の連続だが)。正しく読むことができた人は逆に勇気をもらっただろう。
清々しい風が通り抜けるようではないか。
# by katayama_t | 2006-09-29 12:44 | Social | Trackback | Comments(0)


記録すること。すべて過ぎ去ってしまう前に。
by katayama_t
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